違う見方

複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

ビジネスを論じることは、オタクを論じることに近く、ほとんどサブカル化している!

情報の集め方は人それぞれだし、そこに個人の趣味嗜好も入り込むので千差万別のように思われるが、実際にはどうなのかを調べてみた。

 

新聞や雑誌やテレビのような既存メディアの場合、馴染んだ習慣で無意識のうちに選択が固定化されることが多いかもしれない。

 

文字の場合、内容は全く同じだとしても使われるフォントやレイアウトの違いは好き嫌いに通じることがあるが、これは慣れの問題のなせる業だ。

 

 

では、ネットメディア上の選択はどのように行われてるのだろうか?

 

 

リンク先の記事には、

 

端的に言えば、2015年にヤフーニュースで書いた上記の記事の通りだが、2019年の今となっても「ヤフージャパン、ヤフーニュースの一人勝ち」の状況に違いはない。「SmartNews」や「LINE NEWS」、あるいは「dマガジン」などのニュース配信系サイト・アプリが興隆している現在でもなお、一つの記事あたりの読者数、掲載された広告あたりの反響数では、他のニュースサイトやアプリを圧倒的に凌駕(りょうが)しているのがヤフーである。

 

この記事によると、インターネット上のニュース配信の閲覧(PV数)の6割以上がヤフーニュースだと書いてある。

 

自分のアンテナに引っかかる情報を探すだけならば自分の習慣を変える必要はないが、世間が何を見てるかを知りたいならばヤフーニュースは外せないことになる。

 

ちなみにわたしはヤフーはトップページのニュースだけは目を通すがその程度だったので少しヤフーニュースを見る習慣を付けてみたい。

 

 

一方、純粋に趣味嗜好に焦点を絞る場合は、自分の関心事以外に目を向ける必要はない。

 

その度合いが高まると、趣味嗜好の域を越え「オタク」の世界に入りだすが、そんなオタクは独自の世界を形成するが、そんな世界も緩やかな変化が起こっている。

 

一番お金を使っているのは“何オタク”? 矢野経済研究所が調査

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「自分を何のオタクだと思うか、もしくは人からどんな分野のオタクだと言われたことがあるか」という質問への回答を基に、各分野のオタク人数の拡大推計処理(母集団拡大集計)を行った。

 

第1位は「漫画」で約640万人、2位は「アニメ」で約598万人、3位は「アイドル」で約280万人。16年、17年度の調査と比べても、漫画、アニメ、アイドル、オンラインゲームなど、上位を占める分野にはあまり変動がないという。

 

ところで、オタクの生態はわからない人にはわかりにくいので、言葉は聞いたことがあるが意味はそんなに理解していなかったことを説明していたツイートを参考までに載せておきたい。

 

 

オタクは、その行動が研究や調査の対象になりやすいのは、その分析がビジネスに結びつくからだろう。

 

しかし、純粋に取り組む場合もある。

 

 

これまでに出ているオタク論とは一線を画す本のような気がする。

 

ユニクロを告発する本を書くために、ユニクロに潜入しようとバイトして働き続けた横田増生さんを思い出す。

 

著者の大泉さんはオタクの生態を知るために、郊外型書店DVDレンタル店に10年バイトで勤め、取材を続けた結果の集大成がこの本なのだが、是非読んでみたい。

 

 

 

 

情報の入手や、入手した情報をどのように活用するかという、受け手の行動や生態の一部に触れてみたが、そこには時代の変化が感じられる。

 

しかし、変化は受け手だけに起きてるわけではない。

 

受け手と発信側は車の両輪なのだ。

 

ライターが“読モ化”している件について【決定版】

この書き手と読者の近接、共犯関係を「ライターの“読モ”化」と表現すると、現状におけるモヤモヤが晴れ、少しは見通しが良くなる気がする。

 

従来のライターが「物書き」の中に位置付けられるのに対して、読モライターは広い意味での「芸能」ジャンルの文脈に位置付けられる、と考えられるからである。

 

 

 

 

他に「バンド化」や「DJ化」という表現を見ることもある。

 

 

人が集まる場や、人が集められる企画が、その趣旨やテーマとは無関係に芸能的になりつつある。

 

 

 

一見無秩序なことばかりが起きているように見える。

 

人が集まるところにビジネスが生まれ、そんな場を中心に利害や対立の輪が広がるが、あらゆる分野でオタク化が起きてると理解すれば、複雑で訳のわからないことに思えていた数々の出来事が、シンプルな理屈の上に成り立っていたことが見えてくる。

 

世の中には、たった一つの真実や正しいことがあるというのが従来型の考え方だとすると、オタクはそのアンチテーゼなのだ。

 

真実は一つではなく、多様な解釈が成り立つというのがオタクの本質なのだと感じられる。

 

これまで、「それは矛盾する」という理由で封印していた考え方や感じ方が、多様性を受け入れると許容できることに気付いた人々が、「自分はオタクだから」と言うことで、自分を解放していると考えると、この流れは止められないだろう。

 

時代のキーワードとして「多様化、多様性」はよく聞くが、そんな多様化や多様性は最初は「オタク」として顕在化するが、肝心のオタク自身がまだ発展途上中なので、このような意見が出てくる。

 

 

日本は、世界のオタクをリードしていて、いろいろなものがガラパゴス化する中でオタク分野のみが世界に通用してることを忘れてはいけない。

 

 

ビジネスや世相を論じることと、オタクやサブカルチャーを論じることが、顕著に重なり始めている。

 

そこには、「閉鎖性」という共通の敵がいる。

 

そんな話が次の記事に書いてある。

 

 

リンク先の記事には次のような表現がある。

 

日本の場合、大手の出版社やTV局といった権力のあるIPホルダーがインターネットに懐疑的で、コンテンツを囲い込む傾向にある。

 

そもそも日本のITにおける“鎖国”は、島国的な日本人の国民性からきている閉鎖性ではなく、大企業が独占的な力をもって新しいものをブロックしていたという閉鎖性なんです。

 

 

 

多様化を許容する延長線上に存在するのがオタクなのだが、そこに利害が絡むと閉鎖的になる。

 

この閉鎖性が、日本独自のガラパゴスやブラックの正体でもあるはずだ。

 

だとすると、現代の日本社会の中で息苦しさを感じてる人は自覚の有無に関係なくオタクなのかもしれない。

 

何に関するオタクなのかはともかく、オタクという人種は野に放たれて自由の中で生きるべき人種なのだ。

 

それなのに、自由以外(例えばお金)に答えを求めてるが故に息苦しさが拭えないのかもしれない。

 

自由とは、空気のようなものであり、本当はすでに持っている(与えられている)ということを思い出した方が良い。

 

きっと、思い出すだけで、自由になれるはずだ。