何でも構わないが、たった一つの条件が満たされるだけで幸せになれることには何があるだろうか、と考えてみた。
多くの人が容易に想像できるお金は、さほど貢献しないことがさまざまな研究から分かっている、無さ過ぎるのは問題だが。
そういう意味では以下の話はお金が無さ過ぎないという微妙さを前提にしている。
SNSが普及し、実名だけでなく匿名での発信が誰にでも可能になると、世に溢れたのはウソや誹謗中傷や怒りや不満や悪い誘いになった。
不景気だからとか格差が大きいからと思いがちだが、これもお金があれば幸せだとは限らないという意味では答えとしては不十分だ。
そこで思ったことは、きっと当たり前のこと、当然のこととして受け入れてることに、幸せを阻害する要素があるはずだということだった。
やっぱりこれかなと思い当たったのは、ざっくりと言うと競争だ。
競争で競うのは対比で示せる。
- 優劣(上下)
- 多い少ない
- 早い遅い
- 高い低い
- 遠い近い
- 美醜
など。
競争の本質は他人との比較合戦だ。
しかし、これだけでもない、本来は競う以前に比較すら馴染まないことでも競争している。
- どちらの正義が正しいか?
など。
どちらも、あるいはいずれも、間違ってないのに正解を一つにしようとすることは、多様化と言いつつ多様化を否定することでもある。
社会や世間で通用する正解に意識が奪われると、自分にとっての正解や自分だけの正解が失われてしまう。
その結果、心に余裕がなくなる。
そうなると、何をどうやってもそこに自分らしさはなくなる。
冒頭に戻ると、たった一つの条件が満たされるだけで幸せになれるようなものがあるとすると、それは自分らしさを理解し、それと対立する要素とは接点を減らすことだ。
その結果、世間からはドロップアウトしてると思われても気にしないことだ。
注意したいのは、ドロップアウトが、自分さえ良ければ後は関係ない、あるいは犯罪や反社会に繋がっても構わない、という話ではないということだ。
自分らしくあることが心の余裕に繋がる時に人は幸せでいられるような気がする。
もちろんそういう人にだって辛いことや苦しいことは訪れるだろう、そしてその辛いことや苦しいことには、避けられないものと意識してれば避けられるものがある。
意識してれば避けられることを避けるセンスや能力や判断力も幸せには不可欠だ。
冒頭でお金が無さ過ぎないことが前提だと書いたが、どの位あれば無さ過ぎないのかも広い意味での自分らしさだ。
総合的な自分らしさの理解と実践こそが幸せには必要なのだ。