家電やデジタルデバイスの進化は著しいが、その進化は大きく二種類に分けられる。
一つはスペック、もう一つはデザイン。
どちらも処理能力や使い勝手に関係するので区別して捉えない人も多いだろう。
やってることは昔も今も大差ないとしても、体験としての質感は大きく変わったと感じる人は、もう昔には戻れないし戻りたくないと思っているはず。
データの移動に関しても体験の変化は大きく、フロッピーやCDは廃れ、USBメディアは生き残ってるが端子の形状や規格は多数存在し、最近では無線にシフトしつつあるが無線オンリーになるのはまだまだ遠そう。
使い勝手に関して持ってる印象の違いは、体験の質感に由来するはず。
デジタルにおける体験の変化の主役が、最近なお一層大画面化に向かい出してるのは、メタバースやVRが思ったほどでもないことの裏返しでもあるだろう。
また、コロナ禍以降のリモートワークの影響もありインドア志向も強くなってるのかもしれない。
昭和だったら百聞は一見にしかずは当たり前で、写真を見たり説明を読んで理解できたつもりでも、現場や現地に行けばそれだけでは何も分かってなかったというのは当然だった。
しかし、高解像度の高性能カメラで撮影された映像を大画面で見ると、現場や現地で直接自分の目で見るよりも雄弁な場合もあり得る。
やってることは同じでも、体験の質感が逆転することが起きるのだ。
健康な人が長期間の病気になると、世の中の見え方や体験の質感はきっと大きく変わる。
長期間病気だった人が回復しても同じことが言えるだろう。
どちらの場合も、だからといって世間は何も変わらないのだが。
新しい何かを探すよりも、やってることは同じでも体験の質感を変えるということを意識するのは良いアイデアを生むかもしれない。
質感の変化は、些細な違いに伴って起きる場合もある。
必ずしも壮大なことが必要というわけではない。
今年の夏は猛暑のようなのでインドア傾向は強まるかもしれない、そんな時こそ体験の質感について考えるのは悪くないかもしれない。
あくまでも求めるのは質感であって質そのものである必要はない。
少しはお金もかかるかもしれないが、お金を多くかければ良いというものではない。