『抽象』と『抽象的』は混同されがち。
抽象の反対語は具体。
多くの人は具体的でないことを抽象的と覚える。
抽象を象徴するのは抽象画かもしれない。
現実にはあり得ない状態を描いた絵であったり、何が描かれてるか意味不明な絵が一般的に抽象画と呼ばれるので、抽象の意味を曖昧なはっきりしないことと思いこむ人も多い。
抽象という概念を持つのは生き物の中では人間だけだと言われる。
おそらく脳に起因するのだろう。
人間の能力として特殊能力に位置付けられる絶対音感は音や音声を具体的にドレミで表現できる能力。
人間以外の生き物で音を感知し認識できる生き物は全て絶対音感を持っている、証明はできないがと養老孟司先生が言っていた。
絶対音感のレベルが高い人は、AさんとBさんが一字一句全く同じことを喋っても別のことと捉える。
二人の話し言葉の周波数が違うからだ。
実際には人間社会での経験が増えると、そのことが大きなトラブルにつながらないという意味では、絶対音感の持ち主と言われる人の多くは真の絶対音感ではない人がほとんどのはずだ。
真の絶対音感の持ち主にとっては社会生活は地獄のはずだ。
では絶対音感ではない人はどのように判断してるかというと、音ではなく音で表現された言葉の意味で判断し、経験や記憶で何の音かを照合してるのだ。
声が全く違うAさんとBさんが全く同じことを言えば、意味は全く同じことして伝わるし、表現が少々違っても意味が同じであると解釈すると同じ意味として理解する。
地震の音なども一つとして同じ地震はないが、全部総合して地震と判断できる。
人間のコミュニケーションはこの特性によって支えられている。
この際の解釈や判断で行われていることが抽象化だ。
サンプル数が少なければ気付かないことも、サンプル数が増えると傾向が見えたりする、これも抽象化だ。
さらにサンプル数がビッグデータ的に膨大になると、全く別の傾向や結論が導かれるかもしれない、これもまた抽象化だ。
具体は疑いようのない一つの意味として存在できるが、その反対語である抽象はサンプル数の違いや、その解釈次第で意味や存在が変化しうる。
抽象化が仮説を生んだり実験を生むのだ。
つまり、人類の進歩や進化は抽象化が支えているのだ。
抽象化を活用してるのは犯罪者もだ。
今という時代が良いと思えるかそれとも悪いと思うのか、一人一人が自分が入手してるサンプルデータに基づいて抽象化しながら判断してる、自覚は無いかもしれないが。
一人の人間が知れる範囲なんてたかが知れてる。
きっかけ一つでサンプルデータはどんどん変化する。
明るい未来を描ける人と、暗い未来しか描けない人の差は、抽象化の違いに由来する。
抽象化の違いは、サンプルデータやその解釈に由来する、
つまり、気持ち一つで変えられるのだ。