違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

人はなぜ陰謀論を信じたがるのか

トランプ大統領の誕生の頃から聞くことが増えたのが陰謀論。

 

その後のコロナの発生でも陰謀論は聞こえてくるし、大規模自然災害でも聞くし、もちろんロシアのウクライナ侵攻でもだし、この数日の首都圏の電力不足でもだ。

 

これらを総合して地球では人口削減計画が実行されているという話まで聞こえてくる。

 

人間と動物を比較すると、動物を哺乳類に限定しても、陰謀論に反応するのは人間だけのはず。

 

このことは証明しづらいだろうが、たぶん間違いないと誰でも思ってくれるだろう。

 

この違いが分かると、なぜ陰謀論を信じる人が後を絶たないのがなぜかが分かるような気がする。

 

とても難しいようで実はシンプルな原理原則が働いているような気がしてくる。

 

このように考え始めると、これ自体が陰謀論のように感じてくるから不思議だが、そこには共通点があるようにも感じる。

 

ふと思い出したのが養老孟司先生が言っていた言葉だ。

 

表現は違っているかもしれないが次のように解釈している。

 

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動物は声でコミュニケーションを取るが、人間のようにことばは使わない。

 

その違いは、動物は具体的なことにしか反応できないのに対し、人間は具体的なことを抽象化することができる、と言うような話。

〜〜

 

人間が技術やテクノロジーだけでなく文化や芸術などを発展させることができたのは、個別具体的な事柄を抽象化し、一般化させることが出来たからで、これこそがことばの力なのだ。

 

ことばで定義されたものは、誰が使っても基本的に同じ意味を持つ。

 

このことが人間と他の動物を分けさせているのだ。

 

 

つまり、謎や不思議に直面した人間は、その謎や不思議を説明できることばを求める癖が生まれつきなのだ。

 

だからこそ、お化けや幽霊や祟りや怨みは産まれたのだと考えるとしっくりくる。

 

 

世の中で起きてる出来事はきっとシンプルな原理原則や誰かあるいは何かの指揮命令系統が起こしているのだと思いたくなるのだ。

 

 

Wikipediaによると陰謀論を心理学がテーマとして認識したのが1960年代でケネディ大統領暗殺以降らしい。

 

 

人は陰謀論を挟んで、提唱する人、信じる人、信じない人、という三種類に分かれる。

 

陰謀論を提唱する人は、作家や小説家や脚本家のようなセンスの持ち主が似合いそうだ。

 

陰謀論を信じる人はひと言で言うと不安な人だろう、何に不安を感じているかは様々で、中には具体的な不安は何もないのに、いつ地震が起きるかと不安だったり、いつ何かに巻き込まれるか分からないと不安なのだ。

 

世間で起きる出来事を見てると、なんの落ち度もない人が不幸な目に遭ってることは少なくない。

 

知りたくもないニュースが次から次に伝わってくるようにも感じるだろう。

 

日本に限ってだが、統計上重大な犯罪は減っている。

 

昔の方が、被害者が不幸な目に遭う出来事は遥かに多かったのだが、幸か不幸かそのことを知る術がなかったのだ。

 

一方現代は、知りたいと思ってないことですら伝わってくるので、まるで不幸がどんどん増えてるように感じられる、同じことがいつ自分の身に起きても不思議はないと思い始めると確率は勝手に上がり始める。

 

不安や心配を抱えた人の身体では血流が悪くなる、血流が悪くなるからさらに不安や心配が増すという悪循環が起きる、おそらく体温も低下傾向だろう。

 

陰謀論に抵抗したければ、血流や体温を上げることが効果的な気がする。

 

情報化社会になり、スマホが普及し、結果的に増える情報量に比例して不安が増える人はさまざまな分野のターゲットにされてるだろう。