宮台真司が処理水を巡るツイートでフルボッコされている。
これまでになかった現象に感じられる。
論客として支持者には熱狂的に支持されるが、その行動には批判も多く、さまざまなハラスメントや変態的行為を好む人でもあったように受け取ってるが、これまでは批判や非難の方がマイナーだった。
わたしは宮台真司を噂話程度以上には知らないが、好きな人種ではなかった。
だから、執拗に切りつけられるような目に遭うのだと不思議ではなかった。
昨年の11月だ。
この犯人は後に自殺し、真相はわからないまま。
事件の被害者になると、嫌いな人であっても堂々と悪口は言えないのだが、この件で不死鳥のようなイメージすら付いたかに見えていた。
しかし、今回はフルボッコ、初めて見る現象だ。
時代の波に乗った人が、波のピークは過ぎてるがずっと波には乗り続けているというイメージだったが、後ろから来た大波に丸ごと飲み込まれたようなイメージを今感じてる。
後ろから来た大波とは、正論を振りかざしたくてうずうずしてた人たちだ。
フェイクであろうが根拠が無かろうが、自信満々で早口で一気にまくし立てれば真実と同じパワーを持つという手法も、正論派を同じタイミングで煽ってしまうと、倍返しに遭うのだと感じてる。
タイミングがズレると、主張してる内容は同じでも影響はまるで違う。
時代の波から転げ落ちる時というのは、反対派のタイミングの一致にあるような気がする。
もちろん過去の出来事も伏線として積み上がっているはず。
正論対フェイクという体で説明したが、実際にはポジショントークの争いなのだ。
ポジショントークは、一気に捲し立てた方に分があることが多い。
宮台真司が自分の得意技に逆襲されているのは時代の変化だろうか、それとも単なる老化なのか?
注意すべきは明日は我が身ということ。
クワバラ、クワバラ。