Twitterで『同調圧力』がトレンド入りしていた。
そこで取り上げられてる話題は一つではないが、共通するのはほぼ一つ。
なんとなく成立してるルールや習慣やマナーに対する不満だ。
気になる人には耐え難いが、気にならない人にはどうでも良いことなので不満を訴える人の気持ちが理解できない、そのことで起きる対立だ。
純粋な法律とは別のルールや習慣やマナーには従わなければいけないのかと考えると不満にしかならない。
一方で、従うことが苦でなくかつ従うことで生きやすくなるのならむしろ従うことは賢明だ。
そこまで達観してない人の多くは、コミュニケーションが苦手な人がほとんどなのだが、日常で接してる人間関係の範囲は辛うじて許容範囲に留まっても、広い世間に出会した瞬間に自分の許容範囲を逸脱した生き方をする人ばかりが現れることで、お互いに自分の価値観の押し付け合戦が始まる。
これが同調圧力だという気がする。
当然ながら多数決的な数がものを言う場合も多いし、声が一際大きい人が周りを圧倒する場合もある。
なぜこんなことが起こるのかというと、同じ空間に同じタイミングで出会す人が多いからだ。
賢い人は人が大勢集まる場所には行かないし、行く場合はタイミングを選ぶ。
それができない人が同調圧力が嫌で嫌でしょうがないというのは、生き方として不毛でしかない。
得るものはストレスばかりになる。
今の日本では、同調圧力から逃げる自由は誰にでもある。
それなのに同調圧力でストレスを感じ疲弊する人は、自ら進んで同調圧力に飛び込み抗おうとしてるだけ。
拠り所は自分の方が正論だという主張だけ。
少し離れたところから俯瞰で眺めていると、同調圧力の争いは滑稽なだけ。
これは同調圧力に従えという話ではない。