バスケットボールのW杯のおかげで日本でもバスケ人気は定着しそうだが、W杯が始まった最初の日本戦で話題になったのは。チケットは売れてるはずなのに会場に空席が目立っていたということで運営に対する非難だった。
運営側もすぐに対処し次の試合からは会場は満員になるようになった。
あまり注目されないこのことが日本のバスケ界には大きな追い風だったように感じる。
以下はバスケットからは離れる。
目標や目的が同じならば出発点は関係ないと言いたくなるし考えたくなる。
特に予算が潤沢で始められるのか、あるいは限定されてるか、あるいはそもそも全くないというような場合に、最後は努力や頑張りや継続で差がつくと思ってる時ほど。
一方で予算以上に重要なのが意識の持ちようだとも言われる。
成功のイメージが持てるかそれとも持てないか。
成功のイメージが持てると持てないの間には無限のグラデーションが存在する。
成功する人は、何らかの成功のイメージが描けている。
これは自信満々に大口を叩くということではない。
自信なさげに振る舞っていても内心では成功への確信が揺るがないという場合もある。
しかし、多くの場合で決してとんとん拍子に進むわけではないので、挫折や自信喪失と無縁でいられる人はほぼいないと言って良いのだろう。
差がつくのは、挫折や自信喪失を経験しても成功のイメージを描き続けられるかだ。
挫折や自信喪失を経験することで成功のイメージが変化することはあるだろうし、何をもって成功とするかの成功像自体はまるっきり変わる場合があっても不思議はない。
成功のイメージが具体的であるほど、肯定的に始めることができる。
肯定的な態度は、挫折や自信喪失を小さな躓きに留め、躓きを必要な試行錯誤に収めることができる。
するべき試行錯誤が許容できるのは、俯瞰で見ることができるから。
この繰り返しだ。
一方、否定から始まる場合は対処すべきことが次から次になる。
俯瞰して先を見れないから試行錯誤の仕方が場当たり的になる。
結果オーライもあるが、場当たり的な対処を繰り返すことで行きたい方向からはどんどん離れてしまうことも少なくない。
それなりに経験や実績を積み上げてるはずなのに自分が何をやってるかが分からなくなりがちになる。
場当たり的な対処の繰り返しは、モチベーションや興味を奪っていく。
肯定から始まるか否定から始まるかの差は、決定的な違いから生まれる差ではない。
バスケットの日本チームが成功のイメージを描くためには観客の大声援は必要だったし、会場が満員にならなければバスケ人気に着火することはなかったはずだ。