『自分で自分を褒めてあげたい』
1996年アトランタ五輪女子マラソンで銅メダルを獲得した有森裕子が言った言葉で、流行語にもなった。
しかし、この言葉の前には、『メダルは銅かもしれませんが』とあったことはあまり語り継がれてはいない。
これに触発されたのかいつの頃からか『自分にご褒美をあげたい』という表現の方が一般的になったように感じる。
自分にご褒美をあげるという表現は、英語などでは一般的なようだが日本語としては21世紀に入ってからの概念っぽく、バレンタインで義理チョコをやめる代わりに自分のために普通だったら買わない贅沢なチョコを買うことが始まりだったような記憶がある。
さて、わたし自身にとって自分で自分を褒めたり、ご褒美をあげたりしたことはあったかなと振り返ってみた。
あったような気もするが、ピンと来る出来事は思い浮かばない。
強いていうと、考え事をしていて良いアイデアが思い浮かんだような気がした時に『良し!、コーヒーでも飲むか』と思う時にご褒美的なものを感じることがある、せいぜいその程度だ。
ストレスから解放されるような場合は、そのこと自体がご褒美みたいなもので別途のご褒美を欲しいとは感じない。
具体的な成果が上がったような場合も、ご褒美をあげようとまでは思わない。
それはただ運が良かっただけかもしれないし、ほんの少し何かが違ったら上手く行かなかったはずだと感じるからだ。
しかし、自分の世界に浸っていて名案が浮かぶような場合や、名案につながりそうなヒントを感じたような場合は、ちょっと嬉しくなる。
そんな時に、その浮かんだ考えを反芻しながらコーヒーでも飲みながらついでにお菓子でもあれば贅沢な時間を楽しめる、まさにご褒美だ。
ただ、そのご褒美を味わってるうちに、そんなに大したアイデアじゃなかったなと気付くことも多いが、モチベーションは維持されてることが感じられると悪い気はしない。