違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

ノウハウを求めるのはDNAに刻まれた記憶が深いから

『ノウハウ』の推移をGoogleTrendsで検索可能な2004年以降で検索すると、

 

 

 

この20年で4分の1に減っていた。

 

下げ止まりの始まりは2012年から2013年に掛けて。

 

日本におけるスマホの普及の始まりが2011年3月の東日本大震災以降だということとリンクしてるような気がする。

 

つまり、ノウハウに関する検索がGoogleからSNSにシフトしたのだろう。

 

そして、それ以上に、そんなノウハウなんて無いと知れ渡ったようにも感じられる。

 

それでも自分だけは違うはずだと思う気持ちも昔ながらの伝統のように続いていることも感じられる。

 

自分だけはその他大勢とは違うんだという思いは、自分だけの方法をノウハウとして知りたいと願わせる。

 

最近では、『自分は違う』や『自分は特別』と思いたがる感情は正常性バイアスと一括りにされ、リスクマネジメントの劣化や言い訳のバリエーションの一つだと理解されやすい。

 

そういう解釈が当たってようが外れてようが、この特性は現代人だからではなく昔からだったはずで、意識的な反応というよりも無意識的なDNAに刻まれた反応に近いと解釈する方が似合う気がする。

 

 

奇跡のような出来事は、よく出来た手品やマジックのようなものだとすると、タネや仕掛け次第だということになる。

 

ノウハウとはタネや仕掛けのようなもの。

 

奇跡を起こすことは手柄を挙げるようなもの。

 

手柄を挙げたい人は、ノウハウを求め続けるのが宿命かもしれないが、そのそもそもの動機は、自分より上の立場の人に気に入られたいから。

 

 

ノウハウを欲しがる人のDNAには、誰かに支配され続けた過去の記憶が深く刻まれているのだろう。