違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

邪悪なものに期待するというパラドックス

昨日に引き続き高島屋のケーキについて。

 

昨日は通販というシステムにしか着目しなかったが、今日になってモノづくり全般に当てはまる現象があるように感じられ始めた。

 

高島屋のケーキを題材にするが、高島屋に限った話ではない。

 

日本のモノづくりが優秀だった時代とは決定的に違うことが当たり前になっているのだ。

 

ごく一部を除くと、モノづくりに携わっている人が、おそらく手掛けてる商品に何の思い入れも持っていないということだ。

 

 

お客から受注しお金を受け取る高島屋は、ケーキ作りには直接関与しないでただメーカーに発注するだけ、メーカーは注文した客が見えずただ淡々と仕様書に従うだけで意識してるのは製造原価の低減や納期だけだろう、職人というよりも機械化や自動化が工程に占める割合が増えるほどケーキを食べる人の顔を思い浮かべるというような思い入れは薄れるだろう。

 

直接作ることに関わってる人にはそれでも良心のかけらはあるかもしれない。

 

しかし、出来上がった商品の梱包、保管、配送とそれぞれ別の手に委ねられるようになると、最終的には買った人のことを思いやる気持ちは限りなくゼロになるはず。

 

ただ、昨今の風潮から過剰にクレームを恐れる気持ちは強いはずで、うまく機能する場合にはこのクレームを恐れる気持ちが商品の品質を担保できるが、その肝心の現場の最前線にブラック労働やパワハラがあったとしたら、全ての工程で携わってる人の心にそもそも買った人がいるからこんなに大変な思いをさせられるんだというような被害妄想すら生まれかねないかもしれない。

 

完全に機械化自動化されてる現場であれば起きようがないかもしれないことが、中途半端に人手を必要とする現場では起きても不思議はないのだ。

 

 

現代社会には、大いなる期待や希望を寄せてる現場の最前線には邪悪が渦巻いていることは知っておいた方が良いだろう。