2024年。
新年早々に大変な思いを強いられてる人がたくさんいる。
中にはおみくじで大吉を引いた人もいただろう。
5分前までは何も起きてなかったのに、5分後にはとんでもない目に遭う、そういうことは誰の身にも起こり得る。
何かが起きてしまった人の中には、起こしてしまった人もいるが、まったく落ち度のない被害者もいる。
一旦起きてしまうと、まったく落ち度がなかった人もきっと後悔するだろう、なにも落ち度はないのに。
納得できない思いと釣り合いが取れる別の感情を呼び覚すことでバランスを取ろうとするのかもしれない。
人間は常に自分が置かれてるシチュエーションに相応しいストーリーを組み立て、そのストーリーの主役でいられるように設定する生き物だ。
夢や希望だけでなく絶望も、描かれたストーリーに過ぎない。
どんなストーリーを描いたり組み立てるかには、個性や過去に学習した経験が反映される。
一方で、何に後悔してるかはともかく、きっと後悔してるであろう人を眺めるはるかに大多数の人がいる。
眺めてる人だって、心のバランスを取る必要はある。
情けは人の為ならずという格言がある。
いつの頃からか本来の意味から離れて、他人に情けを掛けるのはその人のためにならない(≒甘やかすな)というような意味で理解する人の方が増えたが、本来の意味は、他人に情けを掛けるのは巡り巡って自分に良いことがあるように、という思いが込められている。
情けの掛け方にも個性や過去に経験した学習が反映される。
後悔する気持ちの中には、過去に情けの掛け方を間違ったという思いもあるだろう。
後悔とは過去に対する思いだが、明確な反対語を持たない概念。
この後悔という思いがあるからこそ恨みや呪いが成立するような気もする。
人間が感情を持つ生き物である以上、常に感情のバランスが取れるようなストーリーを組み立てるのだ。