感染症の権威にとっては、一生に一度あるかないかの特需がこのコロナ禍だったが、多くの人にとっては副作用によるマイナスしかなかったのがこの3年なのかもしれない。
「世界はコロナを終わらせたがっている」、そう感じる見出しが複数同じタイミングで目についた。
日本に住む4人に1人、沖縄県の2人に1人はすでに新型コロナに感染している 抗体調査から分かることは?
一方で、終わらせてなるものかと躍起になってるのがゼロコロナ政策を取ってる中国だが、それも限界に近づいてると感じられる。
天安門事件リーダーが語る 中国“白紙運動”の深層 ゼロコロナデモ 若者たちが立ち上がる理由
詳しくはそれぞれのリンク先の記事を読んでほしいが、私はロシアやウクライナではコロナどころじゃないんだろうなと思い、実際の事情はどうなのだろうかと検索してみた。
検索して色々見てると、違う方向に興味が移った。
コロナとロシアウクライナは別の出来事のはずだが、その影響は、それ以前に成立していたあらゆる分野での需要と供給のバランスを破壊してるということ、が分かった。
改めて言うまでもなくすでに誰もが分かっていることだが、体系付けて理解できたように感じられて新鮮な感じがした。
コロナによって旅行観光業や飲食業が大打撃を受けたのは、目にみえる需要と供給のバランスが破壊された現象だった。
あるいは、リモートワークの関係などでITや通信にも特需が生じたが、細部に目を凝らすと貿易や生産の現場では部品の調達や製品の輸出入の仕組みにも被害が及んでいたので、特需のように見えた多くは実際には在庫の一掃だったのかもしれないということ。
ある程度在庫が捌けると、そこから先は新規の生産に依存せざるを得なくなるということが顕在化する。
消費者目線では、需要があるのに供給が減る、または途絶えることが最も困ったことになる、入手できるとしても価格が高騰するし、最悪は入手できないのだから。
半導体不足は大きく取り上げられたが、あらゆる分野で同じようなことが起きているのだ。
まさに今起きてることだ。
需要と供給と言いながらも、実際の日常生活で意識するのは収入と支出に置き換えてだ。
逆に言うと、収入と支出のバランスで需要の調整をするのが当たり前だと、目の前のことしか追いかけないので、需要と供給の関係には案外気付かないかもしれない。
需要と供給、あるいは収入と支出の均衡が崩れると、争奪戦が起きる。
需要が多いのに供給が少ない場合は、露骨な奪い合いと価格の高騰が同時並行で起きる、つまり極端には強い者が独り占めを狙う、札束で頬を叩くように。
需要が少ないのに供給が多い場合には、価格決定権が奪われ安く買い叩かれる。
争奪戦がどのような形で現れるかはさまざまな形があるだろうが、需要と供給のバランスが崩れると起きる現象だ。
取引の当事者が双方とも人間である場合、需要と供給の関係に感情が介入する余地が生まれる。
一般的な感情は損得勘定だが、好き嫌いという感情もある。
また、需要と供給のバランスが大きく変化する場合、感情は価値観を大きく転換するキッカケにも繋がる。
価値観が180度転換した場合、好きだったものを嫌いになり、嫌いだったものが好きになる、ということが起きる。
今はそういうことがあちこちで起きているに違いない。
人間関係の需要と供給も大きく変化してるかもしれない。