違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

偉くない人ほど備えよ

世の風潮は、勝てば官軍負ければ賊軍。

 

しかし、大災害や天災の被害を知ると、全体から見ての特定の少数が理不尽な被害を受けていることに対しては心が痛む。

 

被災者には良い意味でのエコ贔屓があればと思いたくなる。

 

しかし、そんな気持ちだけでは被災者は救われない。

 

そんな時に思い出す言葉がある。

 

正しいことをしたければ偉くなれ

 

これは刑事ドラマの中でのセリフ。

 

 

正義なき力は暴力、力なき正義は無能

 

これは少林寺拳法の教え。

 

 

今生きやすいと感じてる人は、身近に正義を持った力の存在を感じてるだろう、たとえその正義がどんなに偏ったものであったとしても。

 

一方、今生きにくい人は、良い意味での力を持った正義が身近には無いと感じているだろう。

 

 

正義には敵や抵抗勢力が多く結束力が弱いのに対し、邪悪な共犯意識の結束力(≒束縛)は強い。

 

さあ、では偉くない圧倒的な大多数はどうすれば良いのか?

 

これまた名言がある。

 

昔ビートたけしさんの番組に出てた一般人のおじいちゃんが『偉くなくても正しく生きる』と大まじめに語ると、会場も視聴者も爆笑するというのがあった。

 

このギャップのおもしろさからおじいさんは準レギュラー扱いになったが、本人は愚直に振る舞ってるだけだった。

 

偉くないけど正義に期待したいというのは絵に描いた餅を欲しがるようなものなのかもしれない。

 

いつの頃からか、偉い人が決め台詞のように『自助』と言うようになったのが日本だが、困った時に都合の良い正義なんてきっと無い、そんなつもりで備えることはきっと偉くない人ほど必要なはず。

 

本当に困った時にはお金は役に立たない。