被災地での避難生活では孤独や孤立の問題が起きる、集団で生活していても。
現代病と言われる鬱も集団生活がきっかけで起きる。
中高年の孤立と孤独感というワードが今日のTwitterでトレンド入りしている。
集団での生活は、自ら選ぼうとそうでなかろうと、うまく合わないと何かと問題が多い。
ポツンと一軒家で生活してるような人や好きで一人(独り)でいる人には鬱は起きないような気がする。
一人で過ごすことを楽しめる人は、予定がないことを楽しめる人でもあるだろう。
一人で予定がないことを楽しむというのは、何もしないことが楽しいというのとは大違いだ。
良くも悪くも自分の機嫌を自分で取れるから一人で予定がないことを楽しめる。
やらなければいけないことも、自分しかやる人がいなければ、そのことを嫌だとは感じないだろう。
もちろんケガや病気で動けない時には困った問題になるだろうが、一人を積極的に選択する人なら日常生活でのリスクには備えはあるはず。
モノで備える場合もあれば、無茶や無理はしないというのも立派な備えとなる。
やりたいことややらなければいけないことはその時の気分やその時の環境に合わせて自然と生まれる、結果的にはワンパターンやルーティンばかりという場合も少なくないかもしれないが。
一人を楽しむことができても、周りの人の目には楽しんでることが伝わっているとは限らないので、苦労ばかりしてるように見えてる場合もあるだろう。
もしかしたら可哀想な人に見えてるかもしれない。
大人数でワイワイしてる人の方が一見楽しく充実してそうに見えるかもしれないが、ワイワイしてる人ほど心には虚しい隙間風が吹いてるものだというのも現代の特徴だ。
ここまで語った一人とは、自己主張を強く持つことに関しての行動で、決して他人と関わらないということではない。
集団や他人が絡む場合には、よほどのことがない限りは主張は控えめに振る舞うのも一人を楽しむには必須となる。
ことばでの主義主張の一致で意気投合することから始まるような関係性よりも、行動の一致から垣間見える主義主張の一致に惹かれて始まる関係性の方が穏やかに長く続く可能性を秘めてる気がする。
一人(独り)は性に合うなら選択肢から外してはいけない。