日本の教育それも受験教育の現場に偏差値が持ち込まれたのは昭和32年(1957年)で、合理的な進路指導のためにある中学の一人の教師が導入。
偏差値は同僚教師とは共有されたが生徒へは伝えなかった、しかしその取り扱いに箝口令を敷いたわけではないので、『あの中学の進路指導がすごい』というウワサが教師間で広まり偏差値という存在の認知が始まった。
この当時だから偏差値は教師の手作業による手計算で余計な手間が掛かるものだった。
このように始まった教育現場での偏差値が現在のようなものになるきっかけは昭和36年にあるテスト業者が『うちのテストを使ってくれたら偏差値計算もしますよ』と偏差値を教育現場に導入した教師に持ちかけたことだった。
今風の言い方をするならwin winの関係ができたのだ。
その後昭和38年にこの教師はそのテスト業者に転職をする。
この後全国の受験の現場に一気に偏差値が広まったのだが、一気にと言っても現代のように一瞬でではなく、その後10年くらいを掛けてだ。
勘や経験、時には運や根性が幅を利かせていた現場に、有無を言わせぬ数字が持ち込まれるようになったが、その信頼度は確かに高かった。
このような歴史を理解すると、今生きてる日本人の多くに偏差値的な考えが染み付いているのは不思議なことではない。
偏差値を意識すると、テストで点数を上げるしかないが、出題や解答の仕方にも偏差値が見えてくるようになる。
出題や解答の偏差値とは、受験用語的には『傾向と対策』などと呼ばれている。
非難も多いスタイルだが、差別化し選別するためには効率的なので今でも続いている。
多くの日本人が馴染み受け入れた仕組みだが、決して歓迎したわけではなく、割合で言うとむしろうんざりしてる人の方が多いくらいだろうが、それでも考え方や判断基準としては染み付いているので、ついつい偏差値的な序列に納得しがちだ。
受験を終え社会に出ても、あらゆる分野で『傾向と対策』を求める癖は抜けないし、世の中の展開速度が速くなると、『傾向と対策』では遅く、すぐに正解を求めるようになる。
別の言い方をすると、正解以外のことはまどろっこしいので、学ぶことや教えられることすら鬱陶しがる。
しかし、そんな状態にうんざりしてることも事実なのだ。
現代は何をやっても順位や序列から逃れられない。
社会にとっての正解とは何かや、自社にとっての正解は何かと、自分にとっての正解は何かが、一致してれば何の問題もない。
しかし、一致させることが困難だとしたら。
だとすれば、せめて絶対的な正解がないことを楽しみたいと思うようになる。
正解は自分が作る。
自分だけの正解を楽しむんだと。
勝った負けたは付きまとうとしても、勝った相手を僻んだり、負けた相手を見下したりという関係性からは離れたいと望むはず。
今の自分を全肯定できる何かを持ってることはとても重要になる。
そういうものを持ってる人は、良かれと共有したりしない方が良いかもしれない。