違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

村社会の6つのルール

日本人が日本語で村社会と使うとその意味はほぼ確実に意図道理に伝わるだろうが、では翻訳が簡単にできるかというとたぶんかなり難しいはず。

 

村から連想する田舎や田舎者が構成する社会ではないからだ。

 

 

昨年あたりから芸能界の中枢部からも噴出した数々のスキャンダルは、華やかな世界が今なお現在進行形の村社会であることを伝えている。

 

表面上は古い村社会が解体されたかに見えるが、別の新しい村社会を作っただけにも見える。

 

 

2024年は日本国は日本村だったと思わせられる年明けになっている。

 

 

 

経済評論家の加谷珪一さんは村社会の特徴として6つあげている。

 

 

①富は拡大させるものではなく奪い合うもの

 

②人間とは基本的に上下関係

 

③科学的な合理性ではなく、情緒や個人的な利益で意思決定が行われる

 

④集団の内部と外部を明確に区別

 

⑤根源的な善悪はなく、集団内部の雰囲気や状況で善悪が決まる

 

⑥自由や権利という概念が極めて薄いか存在しない

 

 

 

なんとなく村社会のことは理解できてるつもりの人でも加谷珪一さんのようにきちんと体系付けて再度理解できると、見え方はまったく変わるような気がしてくる。

 

 

日本人のほとんどは、たとえ村社会を嫌悪する人でも、村社会であることが前提の処世術を自分独自に持っているだろう。

 

加谷珪一さんが上げてる6つにまったく当てはまらない日本人をわたしは見たことがない、もちろんわたしにも当てはまっている。

 

日本が高度経済成長できたのは村社会だったからであり、バブル崩壊後まったく成長できないことも村社会だからと考えると妙に納得できる。

 

刷新するはずなのに、新しい村が築かれていただけであり、その繰り返しの連続だったからだ。

 

MeTooが世界的なムーブメントになったのは2017年。

 

それ以降日本でも各種のハラスメントが問題視されるようになった。

 

村社会に小さな亀裂が入ったことは間違いないだろうが、もしかしたら新しいハラスメント村ができただけかもしれない、だって日本なんだもん。

 

最近の日本では保守化が強くなってると言われる。

 

保守という概念や定義に遡って捉えようとすると分かりにくくなるが、単純に村社会化が根強いと考えたら現象を理解しやすくなる。

 

 

今生きてる日本人は日本で生活する限り村社会からは逃げきれないかもしれないが、村社会自体は変質するかもしれない。

 

村社会の6つのルールを理解した上で周りにいる人がどのくらい村社会のルールに毒されているかを知ることは賢明な処世術として機能するはずだ。