違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

消え行くAMラジオ

AMラジオ34局が放送休止と報じられていた。

 

懐かしさと共に振り返ってみたい。

 

一家にテレビが一台が当たり前の時代チャンネル選択権は親にあった、特に父親にだ。

 

そんな時代の子供にとって革命だったのはラジカセの登場だ。

 

ラジカセが画期的なのは放送が録音できたことだ。

 

この時代は民法FM局が日本には4局しかなかった、FM放送の自由化で局が増えたのは80年台の後半からでFMが得意とする守備範囲は音楽だった。

 

それに対してAMはトークやおしゃべりを楽しむものだった。

 

FMで高音質の音楽を録音でき、AMで深夜放送のおもしろトークを起きてられない人でも録音で楽しめるようになったラジカセの登場は革命だったのだ。

 

そんなラジカセ世代が大学生や社会人になるとラジオという存在はテレビに奪われるようになった。

 

ラジオは車の中でしか聞かない人も増えたが、音楽が好きな人はFM中心だがFMは受信できるエリアが狭いのでロングドライブだとチューニングをこまめに変える必要があった。

 

AMは音質では劣るが一度受信できるとFMより長距離に強かった。

 

しかし、車だとドライブコースによってはAMもFMもどちらも聞こえないことは少なくなかったが、聞こえることがありがたいと思えていたので大きな不満には感じなかった。

 

ラジオに視聴者としてのみの関わりだと、AMとFMは用途や気分で使い分けるものだったが徐々に生活に占める割合は減っていったはず、その間経営する側にとっては辛い変化の連続だったのだろう。

 

最近では多くの人がAMだろうとFMだろうとラジオ番組そのものが目的というよりも、ながら作業のBGMがわりなのではないだろうか?

 

こうなると民放には辛いだろう、番組作りで改善できるとは思えないからだ。

 

必然的に評価軸がコスパだけになるだろう。

 

休止されるAMの多くはFMに代替されるとしても、その周波数帯はほとんどがワイドFMだろうからradikoで聞く人には関係ないとしても、従来のラジオやチューナーでは対応してない場合もあるはず。

 

外で作業する際にラジオが必須だった人はどのように反応するのだろうか?

 

 

ラジオは限りなくNHKに収束されるのかなという気もしてくる。