21世紀に入って大きく変化したことに何があるだろうかと考えていたら、キーワードの一つに確実になるだろうことに『監視・管理』があるなと思った。
普及する前の監視カメラ業界と接点を持っていたことがある。
その頃の監視カメラの普及を妨げていた要素に画質の悪さと録画データの保存容量の少なさが大きな課題だったが、それでも導入してた人や企業は撮影されてることで起きた出来事が幽霊の仕業ではないことが確認できることに価値を見出していた、このことは犯人特定には不十分でも保険を使うためには十分だったからだ。
もちろん監視カメラがあることでの抑止効果も期待されていた。
しかし、画質や保存容量の改善が進み、ついでにコストも下がってくると自衛目的以外に広い意味での可視化が評価されるようになってきた、この中には覗き見の快感もあるだろう。
これ以外ではスマホやマイナンバーカードに代表されるようなプライバシーや社会的属性がワンストップで収集され紐付けられるようになったことがある。
現状は選択制で任意だが、拒否してる人は社会的属性のワンストップ化に反対する理由を邪推されるだろうという意味では管理されることを拒否した結果監視されることになるのだ。
自由の反対語は束縛。
管理されたり監視されることを束縛だと思う人は管理や監視を拒否したくなるだろうが、その結果かえって自由が減っているのが最近の特徴なのだ。
束縛を受け容れることが最も手軽な自由の入り口になっている。