原作の実写化を巡り、原作者の思いと実写を手掛ける側の思いの乖離が原作者無視の形で現れるという話題がにぎやか。
次のような記事も出ていた。
さくらももこさん手がけたNHKドラマ脚本を制作サイドが改変 元夫・宮永正隆氏が明かす
この記事で印象に残った部分を引用すると
〜〜〜〜以下引用〜〜〜〜
「こんな仕打ちを受けた当事者・原作者は他にも数知れずだが、制作サイドは『そういうもん』となし崩しで押し切ってきた」
〜〜〜引用ここまで〜〜〜
実写化でのドラマという視聴者としてしか接することがないテーマだと、原作者の気持ちも制作者の気持ちも本当のところはよく分からないのでその話題の取り上げられ方から伝わる空気で気持ちが左右されがちになる。
しかしこの件を、大元のオリジナルに対して改変や改造を加える行為全般に当てはまるかもと思えると見えてくることがある。
例えば建築物の場合、歴史的な建物の場合修理や復元などはオリジナルに忠実に行われる、現代風にアレンジなんて加えようものなら非難が殺到するだろう。
一方でリフォームと呼ばれる現場ではそういうタブーは発生しない、大事なのは施主の意向だけで、問われるのは技術的にあるいは物理的に予算的に可能かどうかだけだ。
工業製品にも当てはまる、代表的なのは車やバイク。
日本だと車検があるので限定的とは言え、オリジナルに手を加えたい人とオリジナルのまま維持することに価値を見いだす人に分かれる。
オリジナルに手を加える行為に対して設計者の意図に反するという意見も多ければ、自分の所有物に自分がアレンジを加えるのは個人の趣味だという意見も根強い。
これって拡大解釈すると保守vs革新にも見える。
オリジナルや伝統を重んじるかそれとも最新や最良を重んじるかの違いと言えそうだ。
どちらにしても、主導権を持ってる立場がその流れをリードすることだけは間違いない。
伝統を重んじるか、最新を重視するか、両者が相容れないことだけは確か。
そういう両者が出会うところに不幸が生じる、そういうもんなのだ。