新しいものが登場しては消えて行くを繰り返す。
新しいものは、好きで飛びつく人以外にとっては違和感がある。
それゆえに、普及の推移を見守りながら自分が参入するタイミングを図る。
パソコンなんか嫌だ、携帯電話(ガラケー)なんか嫌だと逃げてた人もスマホだけは受け容れざるを得なくなってる人が多いだろう。
スマホが特別な存在になったのは便利だからというだけではなく、いろいろな社会との接点が紐づけられるからだ。
マイナンバーカードの普及もマイナポイントという餌に釣られてと言われるが、それ以上にマイナポイントが撒かれてる時期を過ぎて持ってないと、社会から取り残された人種になるという危機感の方が大きかったことだろう。
人が行動する際の動機には見せかけの動機と真の動機があり、人それぞれに使い分けているはず。
資本主義&自由経済が中心の現代では、新しいものを出すことでしか世の中は回らない。
新しいものは前のものより良いあるいは素晴らしいという前提が必要になる。
つまり前提条件も新しく変化やシフトする。
インターネットはコミュニティの定義(=前提)を大変化させた。
その変化は良い面もあれば悪い面もあったはず。
一言で言うと出会いの質が変貌したこと。
それは、従来のコミュニティしかない時代だと決して出会わない人や出会えない人との接点が容易にできるようになったことだ。
悪い面で言うと、トラブルや犯罪の質が大きく変化した。
これから出てくる新しいものの中のごく一部だけが世の中を大きく変化させるはず。
もうすでに変化は起きているのかもしれない。
変化には、自分の変化と自分以外の変化がある。
変化が楽しめない場合の変化の多くは自分以外の変化だ、自分ではどうしようもないから。
動かざること山の如し、日本ではこういう表現が有り難がられることも変化を受け容れたくない心理に影響するのかもしれない。
どっしり構えて動かない人とは、最後まで取り残される人かもしれない。