ウクライナやガザでの戦闘の被害者の映像が流れるたびに、現代の戦争の残忍さが感じられる、特にガザ関連では赤ちゃんや幼児の写真や映像が多いから。
太平洋戦争の被害者の映像、特に原爆被害者も悲惨さは伝えていたはずなのに、ついつい比較してしまう、どっちが悲惨だったのだろうかと。
昔と今ではカメラの数が違いすぎるしその性能も違う。
悲惨さにどっちが上とか下とか無いはずだが、その伝わり方に差が出るのはしょうがないのかもしれない。
また、悲惨な映像が多いことがかえって感覚を麻痺させるということもある。
何が言いたいかというと、共感という感情が曖昧であやふやなものだということ。
戦争に限らず病気や事故での大変さもあるが、現代人は人生の基準が天寿を全うすることだと思い込んでるという前提がある。
情報が多いことがその理由かもしれないが、人間の思考の視野がいかに狭いかということを物語ってもいるだろう。
3年前のベストセラー『スマホ脳』、当時買って読んだが最近また読み直して、ストーリーの本筋とは関係ない記述に引っ掛かる部分があった。
古い地層から出土される人骨には傷の跡が多い、その理由は事故や怪我や野生動物に襲われるという場合もあるが、傷の形状から人間に襲われて付いた傷だと解釈するしかないものがとても多いらしい。
天寿を全うするなんてよほどの権力者かよほどの強運の持ち主以外あり得ないという時代が人類の歴史では長かった。
というようなことが書いてある部分だ。
つまり、人間とは歴史上長らくは誰かに殺される運命だったのだ。
現在を生きる者の中には、その記憶をDNAに深く刻んでいる人と、すでにDNAレベルでは薄らいでいる人が共存してるのだ。
どちらが良いとか悪いということではない。
ただ上記のようなことを思いながらTwitterを検索してるとおもしろい指摘があった。
強欲で性衝動が強い人間だらけの土地でキリスト教の博愛、分配、友愛、貞節が説かれ
— May_Roma めいろま 谷本真由美 (@May_Roma) 2023年11月28日
倫理観がなく物質主義者だらけの中国で孔子や老子の教えが説かれ
自己中で強欲で騒がしい人だらけのインドで釈迦の教えが説かれ
資源をめぐる闘争が激しい土地で喜捨を語るイスラムの教えが説かれた
人間の正体は全員曲者なのかもしれない。