相変わらず世間は大谷翔平さんのネタで盛り上がったり盛り下がったりで大騒ぎ。
そして通訳の水原一平さんの爆弾ネタまで登場しさらにお祭り騒ぎになっている。
そんな時にメディアや世間の動きに苦言を呈する声が登場するのも常だ。
『もっと目を向けるべき課題や問題があるだろう』と。
そういう場合の課題や問題の多くは政治に絡んだことを意味するのもこれまた常だ。
そんな時に思い出すのがドラマ『リーガル・ハイ』でのやり取り。
堺雅人さん演じる弁護士の古美門研介と江守徹さん演じる大物政治家との依頼を巡ってのやり取り。
以下のセリフは江守徹さん演じる大物政治家のもの。
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世の中には先生という職業はいくつかある。
教師、医者、君たち弁護士、そして政治家だ。
何故人は我々を先生と呼ぶのだろう。
人はね、何かをしてもらう相手に対して、
『先生』と言ってへりくだるんだ。
教師には教えてもらう。
医者には治してもらう。
弁護士には助けてもらう。
では政治家には何してもらう?
稼がせてもらうだ。
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余談だがこの脚本を書いた古沢良太さんには感心させられることが多い。
政治への不満とは『稼がせろ』という不満であることが多い。
稼がせろという要求は、なんでも良いから正当な大義名分を作りこっちの喜ぶことをしろということと同じでもある。
政治に関心を持たない人が増えるとますます稼げなくなると感じる人の危機感は大きいだろう。
一方で政治に頼ることなく稼げてるという実感がある人や、現状に特段の不満が無い人、あるいは叶わないことは諦める人も、政治はおもしろければ関心を持つがそうでなければ特に関心は持たないはず。
良し悪しで論じても議論は虚しいだけだ。
ただ、そのように考えると多くのことがしっくりくるのも事実だし、なぜトランプ大統領が待望されるのかも分かる。
つまり日本に限った話ではないのだ。
格差社会では、自分の現状をより上げることも大事だが、それ以上に大事なのは現状を正当化し満足できること。
それができないと不満の連鎖が続くから。
そのために何があれば良いのか、ここが分かれ目だ。
自分で自己完結できるもの、趣味やライフワークのような、そういうものがある人は一人で勝手に幸せになれる。
しかし残念なことに、少なくない一部の人にとって必要なのは、自分の方がマシだなと思える誰かだ。
誰かは身近な人に限らない、SNS上の人でも構わないのだ。
自分より劣ってそうな人を見つけては一言物申すことがやめられなくなるのだ。
論破や暴言が多かったりもてはやされるのもその辺の意識が関係してそうだ。
どうりでクレーマーが多いわけだ。
SDGsの観点からすると持続可能性は感じられない、だとするとその大元の格差社会も長続きはできないのかもしれない。
そうだとしてもどのような時間軸で変化するのかは分からない。