誰だってこの世に生を受けたことで自分の人生ゲームへのエントリーが始まる。
エントリーとは扉を開けて入ること。
この人生最初のエントリーは決して自分が意図したり望んだものではない。
自分が意図するわけでもなければ望むわけでもない人生ゲームはそれぞれの人が物心つくまで続くが、その時期やタイミングは人それぞれ。
物心がついて以降は、自分の思いや意思でエントリーするかしないかの選択が増えてくる、もちろん親や保護者の助けがなければできないことや親や保護者の意思の方が優先されることの方が多いとしても。
一方親や保護者の方でも、親や保護者の意思であってもエントリーさえさせれば子供の人生が親や保護者が望むように動き出すと望むが、そう思い通りに事態が推移するわけではないことを理解するようになる。
エントリーの最終決定権者はあくまでも子供本人なのだから。
そんな子供も親や保護者になっていく。
人によって人生は様々で、そして理由やキッカケはどうであれ、絶えずエントリーするかしないかの選択を迫られることが連続する。
何かを選択するというエントリーもあれば、何も選択しないというエントリーもある。
こうしてたくさんのエントリーを繰り返すことで人の人生は皆違ったものになる。
その違い方は、運や縁や努力で語られることが多いが、実際には単にエントリーしてる誰かが担わなければいけない役が回って来ただけのことだ。
行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず
今年も桜が咲いたと喜ぶ人が多いが、今咲いてる桜はこれまで見たどの桜とも違うという思いで見てる人はどのくらいいるだろうか?
どのような人生を歩んでいようと人生ゲームにエントリーしてればこその人生だ。
生きている限りエントリーは続く、死ぬまで続く。
変化を望むにしろ望まないにせよ、その意思はエントリーの仕方で表現するしかないのだ。