個人情報保護法が施行されたのは2005年(平成17年)から。
それ以前から個人情報は取り扱いを慎重にと言われるようになっていた。
個人情報といっても、それが住所、氏名、年齢(生年月日)などならば個人情報だという自覚は20世紀には薄かった。
現代では、デジタルサービスを利用するためのエントリー資格としてアカウントやパスワードがセットで求められる。
アカウントやパスワードにどのような意味を込めようと最初に作る時はほぼ適当に近いし、すでに登録してる他人と被るような場合は設定できないという意味では当たり前ながら世界にひとつの存在になる、そういう意味では指紋並だ。
使い慣れて馴染んでくると、文字や数字の羅列でも感情が湧くようになる。
思えば世がデジタル化する前の社会では、事あるごとに住所氏名年齢(時には生年月日)がセットで求められていた。
名前は違っても、苗字と住所が同じならば同居家族だとすぐわかるが、デジタルアカウントではそうはいかない。
そういう意味では、アカウントのセキュリティは確実に昔よりは上がっている。
悪い奴に対して『(裁判に)訴えるぞ』という捨て台詞があるが、このセリフが効力を発揮するためには相手が住所を持っていることが前提になる。
裁判の入り口は訴状の送付から始まるからだ。
人が住所を持ってるなんて当たり前だろうと思うだろうが、住所を持たずに生きてる人は案外多いのだ。
良い意味で世捨て人な人生のために住所を持たない生き方を選ぶ人は意図的に他人に迷惑をかけたりはしない。
犯罪を繰り返す人の中には役所の権限で住民票を抹消される人がいる。
そのことを知った出来事がある。
知人が15万円ほどの詐欺に引っ掛かった。
ちょうど少額訴訟の即日判決が施行された頃だった。
改めて調べると1998年頃のことだ。
ちょっとしたゲーム感覚だった。
詐欺に使われたチラシと発行された領収書しか手掛かりはない。
裁判所に行って話を聞くと、訴状の送付先の住所の特定を念を押された、はっきりとは言わないがそこがハードルになるのだなと感じた。
チラシにあった会社の住所は5年くらい前のものでもう存在してなかった、会社の謄本を申請すると登記されていた、その代表者の名前と領収書の名前は一致していた。
登記されてる代表者の住所に行くとそこもすでに引き払われていて、代表者の住民票を取ると隣接市に転居していた。
転居先の役所で住民票を申請すると、しばらくして窓口の係員がザワザワして私が呼ばれ「申請理由を詳しく聞かせてください」と言われた。
これは只事ではなさそうだから本当のことを言った方が良いだろうと経緯を話した。
そうすると、
「そういう事情であればお教えしますが、この人物の住民登録は職権によって抹消してます」、と。
私からもいくつか質問した。
わたし:「では訴状の送付はできないんですね」
役所:「はい」
わたし:「この人物は住民票がないってことですか」
役所:「はい」
わたし:「それは新たな犯罪を犯しにくくするための措置ですか」
役所:「そう思っていただいて構いません」
役所を後にし、警察署に向かった、これまでの経緯を伝えるとともに、犯人は0120で始まるフリーダイヤルを使っていたので、それを警察だったら使用できないようにさせられるのではと思ったからだ。
しかし警察のリアクションはことごとくわたしが思っていたものとは違った。
刑事が話を聞いてくれたが、フリーダイヤルはどうしようもないというようなことを言っていた。
さらに、もしこの犯人が捕まったらあなたは裁判で証言者になってくれますかと言い、警察には犯人を捕まえてくれという話は多いが、いざ犯人が捕まると証言するのは嫌だという人が多いのだというようなことも言っていた。
そしてさらにわたしの取り調べが始まろうとしたので、わたしは正義感にあふれた単細胞のバカを演じ、刑事のわたしに対する興味を無くさせるように努めた。
すぐに刑事は時間の無駄だと感じたようで警察署を後にしたが、これを機会に警察への印象は大きく変わったのは言うまでもない。
わたしが体験した時期と今とでは事情に変化はあるかもしれないが。
住所が抹消された犯人は、自分に訴状を送ることができないことを知っていて犯罪を繰り返してることが少なくないはず。
住所氏名年齢という個人情報三点セットがきちんと確認できることは信用への第一歩なのだ。
犯罪や裁判という観点からするとシェアという概念はちょっと怪しさがあることは理解しておいた方が良い。
今だと、わたしが調べた程度のことでも個人情報保護法が壁になったりするのだろうか?
住所が特定できないという理由で断念されてる裁判はものすごく多いはず。