クリスマスやハロウィンの盛り上がりを伝える報道は、渋谷を始め都市部の繁華街の映像で伝えられるので勘違いしそうになるが、21世紀の日本では実際には家族のイベントになっている。
どちらかと言うと、テレビ等で見てるのは、さまざまな理由で一人で過ごさなければいけない人達が集って賑わっていると言った方が実際の現実を示しているのかもしれない。
もしくは1980年代のヒット曲に松任谷由実の『恋人がサンタクロース』や山下達郎の『クリスマスイブ』なんてのがあった影響がバブル景気でピークを迎えたことを引きずってるだけかもしれない。
今ではすっかり定着したシェア(シェアリング)という概念は、一般には共有という訳語を与えられてるが、これは家族間であれば無理なく成立する。
この関係性を他人との間にも成立させる擬似家族的な概念であり契約が共有やシェアリングだと言えそうだ。
共有やシェアリングが流行する理由としては、そもそもの家族という概念が弱い結び付きに変化してるからかもしれないし、家族に縁遠い人達が家族的な関係性を求めてるからかもしれない。
そうは言いつつも、家族の場合成立してる共有には血やDNAという断ち切れないものがあると実感できれば、関係性はより強固になる。
強い関係性は反作用も大きくなるだろうが、反作用の反作用もまた強力のようだ。
最初はらしくない話だと感じたが、アメリカではコロナ禍に続いてのインフレで家を出て独立していたミレニアル世代の子供が親との同居に戻ってるらしい。
理由はどうあれ、家族というのは人間関係の原点であることは間違いないだろう。