現代の世の中を動かす大きな原動力は、お金。
お金への執着の始まりには、利益を上げるためのありとあらゆるコスト削減が無関係ではない。
コスト削減意識が金の流れを変え、金が全く回らない分野ができるようになった。
そういう分野は必要ないからということもできるが、コスト削減によって顕在化したという意味ではトレードオフの関係と言える。
それはもっとざっくりと言うと犠牲になったということだ。
問題は、犠牲になる分野と入れ替わりで新しいものが生まれたのかだ。
同じことがビジネスだけでなく、個人の生活や趣味に関しても起きているとすれば、
他人から見るとくだらない事に使うためにお金を必要とする人も、別の出費はとことん切り詰めてることは少なくないはず。
それは、世の中を見てるとよく分かるし、そうなるのは多くの人が自分にはお金が足りないと思ってるからだ、貧乏な人は貧乏なりに、億万長者は億万長者なりに。
逆に言うと、自分なりの基準が明確で『これで十分』と思える人は、お金への執着は無いもしくは少ないだろうが、それは自分なりの基準を上回れている間だけでもある。
そういう意味では、現代の価値観の画一化は顕著だ。
では、何のためにお金が必要なのかというと、これは千差万別。
他人から見れば、『そんなくだらないことにお金を使いたいなんてもったいない』、そんなことだらけかもしれない。
しかし、そのように思ってる人のお金が欲しい理由はというと、おそらく世間の反応は似たり寄ったりで共感は少ないだろう。
千差万別があるところには、たとえ表面的なだけでも価値観の多様化が起きている。
千差万別の環境下であっても共感がキーワードなどと言われるが、その共感の輪は小さなものばかりのはず。
さらに千差万別という違いは一人の人間の内側でも起きてるとしたら、脳内で思っていたり望んでることと、実際に行動としてやってることの間には大きな開きが生まれても不思議はない。
それは単なる矛盾ではないのだ。
ブルーオーシャンを求めて、他人や他社と違うことを企画しても、そもそも多様化であらゆる分野のパイは縮小してるので、どんなにオリジナリティがあってもそれが伝わる層が少ないし、その少ない層の中では小さな競争が避けられないので伝えたい人に伝わるとは限らない、結局小規模なレッドオーシャン劇場が展開されるのだ。
画一化が起こす多様化という環境では、みんな迷える子羊なのだ。