あるYouTubeを見てると、加齢を重ねた人ほど筋トレが必要で、そうしないとヨボヨボになる、それがサルコペニアだと言っていた。
それを見ながら『違うな、逆だな』と感じた。
印象としては『逆だな』と思ったが、そういう表現をすると余計に分かりづらいかもしれない。
筋トレの世界の古典的な格言にルーの三法則というのがある。
- 筋肉は使わなければ衰える
- 筋肉は適度に使えば発達する
- 筋肉は使い過ぎると衰える
このシンプルさゆえに解釈は複雑さを招くという不都合がある。
また、その複雑さを助長するのが個人差の大きさだ。
ルーが指摘した筋肉の発達要件としての適度は実に悩ましい存在になる。
人間の考えや行動には合理性があるとか合理的であると言われることは多い。
冒頭の話に戻ると、加齢を重ねたから筋肉が衰えたのではない。
99.99%がルーの三法則に照らし合わせると、筋肉を使わないという習慣を重ねたから筋肉は衰えたのだ。
そして0.001%が筋肉を酷使し過ぎて衰えているのだが、これは現代だからであって、昔は酷使し過ぎて衰えることはもっとはるかに多かったのは明らかだろう。
楽や便利が追求された結果、楽や便利を享受する方が合理的だと判断した結果、人間の体も合理的に判断するようになったのだ。
『この体の持ち主は筋肉を必要としてないようだから、必要ないものは減らそう、きっと体の持ち主はそれを望んでるはずだから』と。
合理的や合理性には必ずトレードオフが伴う。
選んだことに関しては自覚を伴うが、選ばなかったことに関しては無自覚になる。
使わないから衰えていく筋肉が体の合理性の結果ならば、それを加齢のせいにするのもまた別の合理性の賜物だ。
自分の合理性に自信満々な人ほど大事な何かを見落としてる可能性が高いが、そういう人ほど見落としてる何かに気付く可能性は低いものだ。
加齢に対抗しようと筋トレを始めるような人の多くは、自分にとっての適度の判断も誤るのは間違いない。