絶対不変の"モノ"があるならば、時代がどう変わろうと変化すること無く存在し続けるのだろう。
1000年掛けて変化するものであれば、人間の目には一見"不変"に見えるかもしれない。
紀元前4世紀のアリストテレスの時代から16世紀にコペルニクスが誕生するまで、地球が宇宙の中心であるとする"天動説"は、約2000年間信じられ続けていた。
大昔の人々にとって、地球が動いているということは受け入れがたいことであったのだ。
地球は、約46億年前太陽系とともに誕生したとされるが、紀元前6世紀にピタゴラスが唱えた"地球球体説"は、紀元前4世紀アリストテレスが登場するまでは異端とされ、"地球平面説"が信じられていた。
地球平面説が信じられていた頃、海の端は滝のようになっていて海水は宇宙に落ちていると昔の人は信じていたらしいが、振り返ると子供の頃は、地球が球体であるというのはなかなか受け入れがたかったことを思い出す。
海に繰り出す多くの冒険が、海の端っこを見てみたいという動機で展開されていたことが想像できる。
おそらく、絶対不変というものは、実際には存在しない概念上だけの存在で、時間の前では"数式で示される定理"ですら変化するかもしれない。
万物は、時間の経過とともに常に更新され、変化している。
伝えたいという気持ちも、時間の経過が"伝わらないもの"に更新してしまう。
【3.11から6年】神は存在する ― 津波に襲われなかった数々の神社の謎と、1000年前のスピリチュアルメッセージ
そう考えると、津波が来るギリギリのラインを沿うように神社が建っている理由も分かる。また、神社だけでなく、古い寺の多くも津波被害を免れているという。
福島県南相馬市から新地町にかけて、東日本大震災の津波の影響を受けた海側の神社84社を訪れ、被災状況を確認したところ17社が流出・全壊だったが、67社はすべて無事だった。
「延喜式」と呼ばれる文書(927年)に記載されている神社を「式内社」と呼ぶが、福島、宮城、岩手の式内社100のうち全壊・半壊したのは3社のみだった。
貞観大津波が起きたのが869年、当時の人々が後世に「津波が起きたら神社に逃げろと」いう思いを込めて神社を建立したことが想像できる。
しかし、そのメッセージに気付いたのは、津波が起きた後だ。
貞観大津波の60年後までは受け継がれていた大事な教訓としての情報はその後"更新"されなかった。
更新されなかったから伝わらなかったのか?
あるいは、更新された結果伝わらないものになったのか?
おそらく、長いブランクが生じると更新は止まると想像できる。
その頃の神社や寺は、人々に寄り添う存在で、下記のような存在ではなかっただろう。
寺がヤミ金、5億収益か…宗教法人を課税通報へ 2/13(火)
代表らは資金の貸し付けと同時に、借り主に陶器などを高値で買わせるなどし、その代金で実質的に利息を得ていたという。県警は、宗教活動を装っていたと判断した。
ipod以降のApple製品や掃除機のダイソンに共通するのは、最初に外見のデザインで人を惹きつけ、実際に使って使いやすく、使って初めて分かる新鮮なユーザー体験という"更新"が実現されている。
しかし、その背後にある技術は決して最新のものだったり、実験的なものだったりするわけではなく、それなりの熟成を経て生まれている。
更新されたのは、技術そのものではなく、技術の活かし方だ。
かつては、技術をアピールするためのデザインであり、機能が増えたが、同時にスイッチ類が増え、操作性が複雑になり、万人向けではなくなっていった。
ウェブデザインの世界には、『2クリックを1クリックにするのは発明で、1クリックを0クリックにするのは革命』ということばがあるらしい。
現代の技術の競争は、技術そのものも然ることながら、"技術の活かし方"が争われている。
私がWindwsからMacに乗り換えた時、使いやすいなとは感じたが大きな差があるとは感じなかった。
乗り換えて半年も経つと、たまにWindowsを使うと使いにくいなと感じることが増え、まる4年半が経過した現在、Windowsを使う時かなりストレスを感じる、スペックがストレスを感じさせてるのではなく、1クリックまたは2クリック余計な作業を強いられるストレスなのだ。
PCを替えたことで、私の意識が更新されたことを実感できる。
現代では、遊びでもビジネスでも競争の舞台で取り組む人には、意識の"更新"が要求される。
最近話題の『下町ボブスレー』は、技術力で負けたというよりも"技術の活かし方"で負けたと言え、それは意識の"更新"がされてなかったことから導かれていると感じる。
この意識の更新が為されてないことが諸悪の根源と言うのは、下町ボブスレーに限らず日本全体に当てはまる気がするが、何も問題はない。
現在世界の主流の"意識"を踏まえて、その先に更新して行けば良いだけだ。
1歩遅れてるからこそ出来る業だ。