違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

【気になる】『フィルター』の違い!

見えないものを見えるようにすることで、気付かなかったことに気付くことを目的にすることを、"見える化"と呼ぶ。

 

私の記憶が正しいならば、"見える化"という呼び方は、省エネにおける電力計測に対して用いられたのが最初だ。

 

スイッチのONOFFしか認識してない現場では、スイッチをONにしてるだけなのに、消費電力に変動があることをなかなか認識できないために、どのタイミングで消費電力が上がるのかを計測装置を取り付け記録するということが21世紀に入ると盛んに行われるようになった。

 

見えるようになった途端に気付くことには、自発性があるためにモチベーションにつながりやすい。

 

そうなると、知らなかったあの頃には戻れなくなる。

 

 

その後、この"見える化"は、いろいろな分野で用いられるようになっていった。

 

ちなみに、Google Trendsで"見える化"を見ると、

 

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2005年から2006年にかけて急速に広まったことが分かる。

 

"見える化"は、当初コスト削減のために始まった。

 

 

 

キッカケはどうであれ、見えるようになることで初めて気付けることがある。

 

しかしその一方で、目の前にある同じものを見てるのに、全く違うものに見えてることもある。

 

 

 

同じものを見ていても違う反応をすることがあるくらいだから、接してる情報や集めてる情報が違えば、反応はどんどんズレて当たり前だ。

 

そんな違いやズレの大本には『フィルター』があると言われる。

 

そして、一人ひとり持っている(備わっている)フィルターが違う。

 

そんなイメージをわかりやすくイラストにしてくれている方がいたので紹介する。

 

 

同じ気持ちになると思っていても違うことはザラにあるし、逆に同じ気持ちのワケがないと思っている時に、同じ気持ちだったと分かったりすることもある。

 

フィルターを通すと、そのような違いが産まれるのだ。

 

 

お客の気持ちを考えようとしても結局わからないので、恐る恐る出したり。

 

 

 

自信満々で出しては見たが、

 

 

自分自身にも、フィルターが存在してることは分かるのだが、どんなフィルターなのかはよくわからない。

 

そんなフィルターを通してこのブログも産まれている。

 

 

ネット上に発信している場合、インターネット上のアルゴリズムのフィルターにも選別される。

 

ネット上のフィルターを上手く掻い潜らないと、存在そのものが無いことにされてしまう。

 

そのフィルターを上手く掻い潜るために、キーワード対策(SEO)が盛んだが、その結果間違った方向に向かうことも増えるだろう。

 

こういうことは、一事が万事となる。

 

 

 

"やりたくないことだけど売れる" >>> "やりたいことだけど売れない"

 

 

言い訳はいくらでも出てくる。

 

 

天と地ほど考え方が違ってるように見えても、実はフィルターが違うだけで、中身は大差ないということだらけの世の中に見える。

 

 

 

 

たかがフィルター、されどフィルター!

 

 

【日本・日本人】ATMと現金は、死にそうで死なない!(追記あり)

最近ATMに関する話題が増えている。

 

確実な話なのか、伏線を張っているのかは不明だが、

 

 

 

 

 

事業としてのATMの採算性とは?

 

 

 

大前研一さんは、ATMに関してこう言っている。

 

みずほFGの坂井社長は、インタビューで

「ATMは公衆電話のように消えていく」と答えたそうですが、

まさにその通りです。ただし私に言わせれば、

「銀行も消えていく」と付け加えたくなりますが。

 

最近になってローソン銀行が開業しましたが、

「20年遅い」と思います。ATMの機械は高額ですし、

散々セブンイレブンが活用してしまっています。

端末によっては今から設置しても

しばらく使えるものはあると思いますが、

それほど寿命は長くないでしょう。

なぜ、20年前にやらなかったのか?

ローソンの親会社である三菱商事の時代感覚が、

それだけ遅れているということだと私は思います。

 

 

出典:『 大前研一 ニュースの視点 』 2018/9/28 #745

 

 

 

そもそもATMとは、

 

 

 

ATMが普及しだしたのは1980年代に入ってからで、その前段階は現金の引き出しのみができるCD(キャッシュディスペンサー)と呼ばれるものだった。

 

CDからATMへ移行し始め、ATMが普及しだした時期の銀行にとって預金の管理や入出金の手続きに人件費を掛けることはバカバカしいくらい儲からない業務だったはずで、リソースの多くは融資や大口預金顧客のみに向けたかった。

 

そんな銀行業務も融資に活路が見出せなくなり、かつてバカにしていた手数料ビジネスに活路を求めるようになり、さらに現金需要が減少すると予想される時代の流れの中で、なりふり構わないコスト削減に血眼になっている。

 

そんな銀行を中心としたリアルマネーの世界で、ATMが消滅するかもと言われてるのに、仮想通貨はまだ自身のキャラを決め切れずにいるようだ。

 

 

ATMの話題を見てると、ATMが役割を終えたように見えるが、ATMは尻拭いをさせられてるだけかもしれない。

 

モノを言えないATMは、銀行員をリストラするより簡単だから先に手を付けられてるだけなのかもしれない。

 

 

良くも悪くも銀行がインフラとして便利で優秀だった日本では、なかなか銀行の“次”が決まらない。

 

キャッシュレスや仮想通貨やマイナンバー活用など、様々な考えがあり、それぞれに一理あるが、まだまだバカにされながらも現金が幅をきかせるような気がする。

 

 

追記

 

こんな最近のデータがあるらしい。

 

電子マネー、平均3枚保有でも、日常的に使っている人は3割弱:1件あたりの決済額は1000円以下 2018/10/9

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【発見】ネット上の現代用語!

今朝、目が覚めベッドの上で何気なく見ていたツイートの中に見知らぬことばがあった。

 

お気持ちヤクザ』というのがそのことばだ。

 

 

 

Google Trendsで検索すると、

 

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まだ一般的なことばとは世間では認識されてなさそうだ。

 

ちなみに、意味はこうなる。

 

『お気持ちヤクザ』とは「自身の不快感を社会悪として対象を排除する存在」のことを意味する新語である

 

検索する中で、こういうツイートに出会った。

 

 

 

これまた、知らないことばのオンパレードだ。

 

Google Trendsで検索すると、

 

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全国的なことばではなく、都市型のことばだと分かった。

 

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世に出た順番が新しい順に紹介すると、

 

トランプ氏就任から聞くようになった「ポリコレ棒」ってどういう意味?

例えば、現在米国内ではクリスマスに「メリークリスマス」とあいさつをすることは、キリスト教徒以外の人に対する差別であるとされています。これでは逆にキリスト教徒に対する差別ともとれますが、反論すれば「ポリティカル・コレクトネスに反論するのか、この差別主義者め」と袋だたきにあってしまいます。

このように、「ポリティカル・コレクトネス」に少しでも反論するとすぐにたたかれることから、「まるでポリコレは人をたたくための棒だ」といわれるようになり、日本では「ポリコレ棒」と呼ばれるようになりました。

 

 

 

 

ネットの進化とともに増加する”繊細チンピラ”とは?

じ、自分に欠けている何かを持っていることに対して無自覚な他人の発言を勝手に自慢と受け取って激昂する人!!!!!!???????

 

 

「傷つくのでやめてください」の一言で自分の不快なものをこの世からなくそうなんて、暴力と同じなのよ。だからこういうふうに弱者の立場を利用して意見を通す人に、畏敬の念を込めて”繊細チンピラ”と呼ぶのよ。

 

 

 

 

 

 

いづれのことばも、対立から生まれたことばで、その対立軸は、

 

強者の理屈  VS 弱者の理屈

 

多数派の理屈 VS 少数派の理屈

 

 

虐げられてると感じる側に被害妄想があり、それに対抗するために、虐げる側が使う手法を用いて逆襲に転じてる姿が感じられるところが興味深い。

 

嫌な奴は反面教師にして近づかないことが、知恵だと思っていたが、虐げられてる側に半沢直樹流の「倍返し」という復讐に似た根深さを感じてしまう。

 

これは、一連のmetooにも通じるだろう。

 

時代の流れと見るべきなのだろうか?

 

 

虐げられてる側が「窮鼠猫を噛む」状態だとすれば、それは緊急避難であり末期症状にも感じられるが、意識の向け方をほんの少しずらすだけで、その状態を回避できるようにも感じる。

 

目標や目的は、常に"次"があることを設定するようにした方が良い。

 

達成した後に"次"が無いことを目標や目的にすることは、喜びから遠ざかり、虚しさに近づいていく。

 

 

私は毎日何かしらネット上から新しい情報を仕入れるようにしているが、それでも数年前に使われ始めていることばに初めて出くわすということは、日常の視野がいかに狭いかを物語っている。

 

しかし、新しいことばに染まり過ぎると、流行に乗ってるようで自分の価値を大きく損なうことに繋がるかもしれない。

 

【意味が変化】弱肉強食!?

『弱肉強食』とトレードオフの関係にあるのが『治安』。

 

『治安』は、良い悪いで語られ、良い場合は維持されるものであり、その結果は、安定・不安定という尺度で計られることが多い。

 

治安が安定すればこそ共存共栄(=弱肉強食の辞書的な反対語)が成り立つ。

 

 

 

現代日本の人間社会における弱肉強食は、命のやり取りではなく、経済的、社会的な属性のどこに位置してるかということで、社会的なヒエラルキーの中で序列を決定されることによって起きる。

 

この弱肉強食の恐ろしさは、容赦ない序列付けにあるように捉えられがちだが、一番恐ろしいのは世間の目を意識するあまりに、序列の呪縛に囚われて心を病むことだ。

 

一般的な弱肉強食の世界では、強い者が加害者(=支配者)であり、弱い者が被害者になる。

 

 

 

人間を含めて自然界の弱肉強食は、基本は異なる種の間での競合だが、種の内部でも弱肉強食は起こる。

 

しかし、人間社会で弱肉強食を語る時は、人間同士の闘いのみを意味する。

 

だから、人間の目には絶対的な差があるように見えても、異なる種の目から見ると、おそらく大した違いが無い筈だ。

 

 

 

実は、人間社会の変遷を見ていくと、決して弱肉強食ではないことに気づく。

 

 

 

人間社会の多様性の展開をよく見ると、弱者の裾野が拡大してるようにも見える。

 

しかし、弱肉強食の世界である以上、一定水準が求められる。

 

 

 

そして、その健康自体も弱肉強食化しているかもしれない。

 

 

 

 

人間社会では、弱肉強食の理屈にも多様性が生じているのかもしれない。

 

弱いから取ってると思われてる行動が、強者の理屈になるかもしれない。

 

 

 

そもそも、弱肉強食とは、強者が弱者を支配してる事だと思いがちだが、実は強者だと思われてる者が、弱者に依存してるとも言えるのだ。

 

 

 

昭和から平成に跨って生きてる程度の短い時間の中でも、意味が変わる言葉が出てくる。

 

時の流れの中で意味を変える言葉のように、自然界を支配している理屈にも定義の変化が訪れてるかもしれない。

 

弱肉強食の弱者と強者の定義も逆になる日が近づいてる気配を感じる。

 

【日本人】一発大逆転!

頑張れば活路が拓けると信じ(られ)ることが、モチベーションの源泉であることは、今も昔も変わらないが、現代社会では頑張ることが"一発大逆転"にはなかなか繋がらなくなっている。

 

ホームランがある野球や格闘技などのスポーツでは、劣勢を一挙に挽回する“一発大逆転”がイメージしやすいが、日本人は特に一発大逆転が好きな国民性だと言われる。

 

 

 

 

"一発大逆転"は、システムがしっかりと確立し強固になるほどに起こすことが困難になる。

 

 

 

しかし、逆転劇は、何もしなくても訪れることがある。

 

 

 

でも、逆転劇には王道は無さそうだ。

 

 

 

“何も無いから”、“失うものが無いから”こそ、時に“一発大逆転”を目指すのだが、何も無いと逆転劇にエントリーすることも許されない時代になりつつあるかもしれない。

 

 

 

 

"一発大逆転"を狙う時、システムが機能してる場合には、無策という策で挑むことがあるが、多くの場合は玉砕する。

 

 

 

ところで、“一発(大)逆転”の反対語は何になるだろうか?

 

もちろん辞書的には無いだろうが、

 

 

 

“一発(大)逆転”の反対語は、“愚直に徹する”が相応しそうだが、他にも反対の意味が存在しそうな気がする。

 

 

 

"一発大逆転"を許さないのは、強固なシステムと言って良いかもしれない。

 

つまり、"強固なシステム"が、もう一つの反対語になる。

 

 

 

一発大逆転を狙う気持ちの背後には、不遇に対する恨みや反発や憎悪が感じられることが多い。

 

 

 

 

無策に近い策の中には、偶然のおかげで上手く盲点を突く場合がある。

 

 

 

だから、一発大逆転は、奇跡とも言われる。

 

 

しかし、"一発大逆転"が起きかけている現場の真っ只中にいる人でも、今がその最中だとはわかりにくいだろう。

 

"一発大逆転"を狙ったり、期待する気持ちは、「この先はどうなるか分からない」という気持ちが産み出すものだ。

 

だからこそ、システムに逆らう価値観が産まれるが、それは意図しない価値を産み出すこともある。

 

 

 

 

相撲協会を追われた貴乃花の政界入りが噂され、政治力を持って相撲協会を改めようと意図しているなどと言われている。

 

この話を聞いて、"一発大逆転"を感じたが、同時に呪縛の深さも感じたので、いろいろTwitterからネタを拾ってみたが、私の結論としては、良い悪いは別にしてそこには努力などではなく、それこそ"運"とか"縁"とか、自分ではどうしようもない力の影響を受けて成立する世界観があり、"一発大逆転"はすべての人に実は起こっているんだろうと改めて感じた。

 

【悲報】世の中は、『反面教師』で溢れてる!

昨日、ストレスについて考えていた流れで、ストレスと言えば人間関係だろうと思ったので、人間関係を切り口にしてみた。

 

オーソドックスな人間関係として"友達"を入り口にしてみたい。

 

Google Trendsで"友達"を検索可能な2004年以降で見ると、

 

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どんどん検索数が増えている。

 

関連するトピックやキーワードを見ると、

 

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勝手なイメージだが、現代の友達像が見えるような気がする。

 

友達を求めながらも、友達は多くなく、その関係はライトなもの。

 

喜怒哀楽の感情を誰に伝えるかと言うと、代表格は友達だと思いがちだが、現代はそうではないかもしれない。

 

この"友達"と似たカーブを描くものを探していたら、こんなワードがヒットした。

 

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関連するトピックやキーワードを見ると、

 

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上位には"友達"は出てこないが、身近な人間関係に対して感じることが増えているのが"ムカつく"という感情のようだ。

 

 

現代人は、仕事とプライベートの区別をすることが当たり前になっているので、人間関係にも仕事とプライベートの区別が起きているだろう。

 

選ぶことができるプライベートの友達関係ですら問題を抱えることが多いとするならば、選ぶことができない場合もある仕事上の人間関係では、もっと悩みは多くなるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

仕事上の人間関係は言うに及ばず、フラットで対等な関係だと思える友達関係にも、時間の経過とともにフラットではない関係性が生じることがある。

 

 

上↕︎下

 

左↔︎右

 

前↔︎後

 

優↕︎劣

 

敵↔︎味方

 

の関係性が生じたり、隠れていたものが露呈したりすることがある。

 

 

 

 

 

Google Trendsで遊んでいると、ずっと緩やかに増え続けている関係性を示すワードがあった。

 

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これも現代を象徴するワードと言えるかもしれない。

 

究極の“他人”の関係が村八分だ。

 

 

 

 

良好な人間関係を感じさせるワードに、"人脈"というものがある。

 

ただの知り合いや友達関係より濃密で、単に仕事の取引があるという以上に利害を共有でき、損得を越えて成り立つ関係だ。

 

しかし、友達関係ですら他人の関係になりつつある現代人には、人脈はただの利害関係にしか見えてないことも多い。

 

 

 

 

 

 

私の個人的な意見だが、人間関係の変化がマナーを変化させ、崩壊させていると感じる。

 

「ひでぇじゃんバカばっかりで」有吉、教育ではマナーの悪さは治らないと主張 ネットも共感

ネット上でも、“マナーの悪さ”についてたびたび議論となる。「自分の子供がいるのに道端にゴミ捨てる親がいたけど、そりゃそういうのを見て育ったらマナー悪くなるわって思った」「マナー強化を訴えたところで破る奴は絶対いるからね。規制って結局そういう奴らを抑止するためだから」「ポイ捨てって自分の部屋とか家じゃないからどうでもいいって考え。そういう人たちはマナーの概念がない」

 

 

これに有吉が、「なんとかなると思うでしょ?マナーとか教えとか教育で。ならねぇじゃん、ひでぇじゃんバカばっかりで!」と叫び、川や海にごみを捨てるマナーの悪い人はいなくならないとした。

 

 

 

人間関係もマナーも、自分には縁がなさそうだと感じたら、無関係だと思ったら、失われていくのだ。

 

 

 

 

おそらく、誰もそうなろうとは、そうしようとは、思ってないはずなのに、自然とそうなってしまうのだ。

 

自分のことはよく分からなくても、他人のことは案外分かりやすい(もちろん誤解もあるが)。

 

“人のふり見て我がふり直せ”、世の中には、反面教師が溢れている。

 

【正義】嫌なものから逃げること!

私の認識では、ストレスというのは元々は、他人から課される過度の期待やプレッシャーに対して感じる負の心理や、自分自身が自分に課す過度の自意識過剰に対して耐えきれなくなるものと思っていた。

 

しかし、いつの頃からかストレスとは、心と体を蝕む要素を自覚した時に、それに抗おうとする際に感じる心理を広い意味で指すものになったような気がする。

 

そういう変化のキッカケは、ストレスが健康や寿命に悪い影響を与えると言われ始めてからだろう。

 

 

 

 

 

Google Trendsで、"満員電車"を検索可能な2004年以降で見ると、

 

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"満員電車"の検索が緩やかに増加傾向にあることが感じられるが、さすがに全国的な関心ではなく、それなりの都市に限っているようだ。

 

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では、"ストレス"を2004年以降で見ると、

 

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"満員電車""ストレス"は、リンクしてるかのように似たカーブを描いているように見える。

 

 

では、現代社会では目の敵にされるようになった"タバコ"を同様に2004年以降で見ると、

 

 

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これまた同様の上昇カーブを描いている。

 

おもしろいのは、関連するトピックやキーワードだ。

 

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タバコに関してストレスを感じるのは非喫煙者だと思っていたが、電子タバコの検索が多いということは、喫煙者も最近の風潮にストレスを感じていて、少しでも非難の目を回避したいが、だからと言って禁煙は無理だと思っている様が感じ取れるような気がする。

 

 

これらを、全部同時に比較すると、

 

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となる。

 

 

 

今年の日本は、自然災害が目立つが、そんな時、装備を満載し現場に救助に駆けつける人々、例えば警察、消防、自衛隊の方々にはどんなストレスがあるだろうか?

 

あるいは、戦地やテロの現場に駆けつける場合はどうだろうか?

 

 

 

 

 

重いボディーアーマーは兵士のパフォーマンス低下に影響。携行物の適正な最大重量は50ポンド

イラク・アフガニスタンでの戦闘で兵士は日常的に119ポンド(=約54キログラム)もの重量負荷を経験しており、その結果戦場で医療救助を受けた兵士の1/3が、脊髄や結合部位、筋骨格障害を受けている。これは戦闘による負傷の2倍に匹敵するという本末転倒の結果になっていた。

 

 

現代人は、様々なものがストレスとなり自分に襲いかかっていることをはっきり自覚している。

 

そして、過剰に、被害妄想的に、新しいストレスを発見し続けている。

 

 

 

ところで"ストレス"に関してウィキペディアには、面白い記述がある。

 

 

アメリカ合衆国での、成人約30000人を対象とした8年間の追跡調査では、ストレスが健康に良くないと認識していない人の死亡率は低下していなかった。

 

健康心理学者のケリー・マクゴニガルはこうした研究を紹介し、ストレスが多いと死亡するリスクが43%増加するが、それはストレスが健康に害があると認識している場合であると説明した。

 

また科学的にはストレスの捉え方次第でストレスに対する体の反応が変わる研究を紹介している。

 

例えば、ストレスを感じると心臓がどきどきするが、これを体に悪いとネガティブにとらえると実際に血管が収縮し心不全などの原因となる。

 

ところが、心臓がどきどきするのは新鮮な血液を心臓にどんどん送り込んでくれているのだと肯定的にとらえると、血管が収縮しないことが分かった。

 

すなわちストレスは捉え方により、健康に全く害がないと主張している。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/ストレス_(生体)#ストレスの影響を認知が無効化する

 

 

 

残念ながら、現代人はストレスという言葉が日常語になる前の頃にはもう戻れない。

 

それがストレスだと知りさえしなければ、許容範囲に収まっていたかもしれなが、現代人の許容範囲はどんどん狭くなっている。

 

この許容範囲の狭さと折り合いを付けながら生きて行かなければならない。

 

 

そのためには、許容範囲を広く取る努力をするか、ストレスの元を徹底的に排除するしかなくなる。

 

 

多くの人にとっての正解は、嫌なものから逃げることになるのだろう。

 

嫌なものから逃げることは、正義になる!