積み上がって増えるから安心でき、減るから不安になるものがある。
今日の話は、自分に言い聞かせるため。
子供の頃から、”今日できなくても明日はできるようになりたい ”と思い取り組んだことがある。
たとえば、自転車に乗ること。
乗れない時には、乗れるということが、手の届かないところにあるが、ひたすら練習する。
そして一旦乗れるようになると、乗れない状態に戻ることが出来ない。
長期間のブランクがあっても、すぐに乗れる。最初は、少し違和感があってもすぐに普通に乗れる。
子供の頃勉強して覚えたことは、内容によって異なる。
ブランクがあっても鮮明に覚えてることもあれば、全く覚えてないこともある。
掛け算の九九のレベルでも、心もとないことがある。
このように考えると、小さい頃から出来ること、小さい頃は出来ていたのに大人になると出来なくなること、小さい頃はできなかったのに大人になると出来ることがある。
小さい頃や大人になると言うのは、なんとなくニュアンスで理解してほしい。
また、”できること”は、”わかること”と置き換えても成立するだろう。
時系列で見たときに、後に失うもののことを考えると、寂しくなる。
内容によっては、恐怖を感じる。
今という時代を生きてる人は、少なくとも日本人は、生まれてこの方ずっと便利と快適を目指すこと当たり前という環境で生きている。
今、車を運転する殆どの人が年中エアコンを使っているだろう。
夏は暑いし,そもそも外気は汚いと思ってる人も多いだろう。
1980年台、ドイツ車の一部は、内気循環のスイッチを押すとオレンジに点灯していた。
つまり内気循環のスイッチは警告を意味していたのだ。
外気を取り入れてないということが警告だということの前提は、車内より外の方が空気がきれいだということだ。
単純に公害問題を論じるなら昔の方が空気は汚れてたかもしれないのに。
今中国の空気汚染がひどいと思ってる人が、昔の日本を知ったら、驚くほど空気が汚れていた時期があった。もちろんドイツもだろう。
そんなドイツ車も今では常時エアコンがデフォルトだ。
何が言いたいかというと、便利や快適が積み上がってそれを享受してるが、それは手放しで喜んで良いのだろうかということだ。
積み上がった便利や快適とトレードオフの関係にあるのは何なのか?
そのことに直面せざるを得ないのがこれからだ。
何に直面するのかは、また別で書いてみたい。
今日したいのは、便利や快適が積み上がることが人間の行動に大きく影響し、無意識に合理的に判断する方向が間違ってるかもという話。
考えるヒントになったのは、長期間ブランクがあっても自転車に乗れることを思い出したことだ。
掛け算の九九は、おそらく日常で買い物やお金の計算をすることがない立場になったら急速にできなくなるのではと思う。
ブランクがあっても自転車に乗れたのは、生きてれば体を動かすからというのが理由だと思う。逆に考えると、長期間体を動かさない環境にいた人は、自転車だけでなく、そもそも歩くことすら普通に出来なくなるだろう。
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乗れるようになったということは、バランスの取り方がインプットされたという事。
生きて普通に体を動かしてれば似たようなバランスのとり方はいろいろあるはず。
つまり、体を動かすというアウトプットが代替して維持された能力だろう。
さらに、スマホの普及が進みパソコンすら使われなくなりつつある今、情報は受取るだけのものになりつつある。
これからの時代に必要なのは、アウトプットだ。
最も簡単なのが、ネット上のアウトプット行為だと思われる。
皆がやってるように見えるネット上のアウトプット行為ですら、やっているのは、全体から見るとごく一部だ。
意味のあるアウトプットとは、自分というフィルターを通してなされるものだ。
仕事の場合、BtoBは、個人のフィルターを反映させないことが多いだろうから有効なアウトプットとは言えない。
有効なのは、エンドユーザーと接し、かつ雑談やコミュニケーションが発生するような仕事だろうが、このような現場はクレームの発生と紙一重だし、資本がある企業の場合、派遣社員で対応してる場合も多いので、ケースバイケースだ。
アウトプットは、仕事で必要というよりも、個人が幸せであるために必要だろう。
受け取った情報を、どう活用するのか、どう行動につなげるか。
インプットは、既に十分なされてる。
見合ったアウトプットを見つけるだけだ。
積み上がったものが減ることが怖い人には、ハードルが高い。
正解を定義できるのは自分だけ。