最近夢を見ないと思っていたら、久々に夢を見た。
15,6年前に、ごく短期間だけ接点があった嫌いな人物が夢に出てきた。
このブログを書いてる時点でもう内容は思い出せないが、気分が悪い夢だったことは覚えてる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/夢
覚醒や意識レベルと夢との関係[編集]
寝ながら見る夢では、その人の普段は抑圧されて意識していない願望などが如実に現れるケースも多いとされる。ただ、それらは誇張されていることも多く、結果的に現実としては不可解な現象で表現されることが多い。
とっくの昔に忘れ去ってしまってる人物が夢に出るということは、潜在意識の中で生きていたということだろうか?
日常では、無自覚な潜在意識の影響を意識していない。
無自覚な潜在意識にどのくらい影響を受けているのだろうか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/無意識
(wikipediaでは潜在意識は無意識として扱われてる)
無意識の存在[編集]
意識が対象とするものは、記憶だけではない。
また記憶は、何らかの意味で「構造化」されており、「無意識の領域」
の膨大な記憶がどのように構造化されているのかということも問題である。
人間には経験や学習によって得た記憶・知識以外に、生得的または先天的に
備えていたとしか言えない「知識」や「構造」が存在する。
この無意識(潜在意識)の個人差が表面化したものが個性なのかもしれない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/個性
日本では往々にして肯定的な意味で用いられるが、
本来は存在する上での差異を指しているだけに、
必ずしも有益であったりするものばかりではない。
他人の個性は理解しやすい、と言うよりわかりやすい特徴のみ個性と認識してしまう。
芸能人の芸風や役者の演技にも色濃く出てると感じる。
小説家や漫画家の作風やテーマの選び方も個性がある。
しかしともするとルーティンワークで手を抜いてるんじゃないかと思えることがある。
あらかじめ考えることをしなくても、とりあえず漠然とでもどんな情報を
集めればいいかがわかれば十分な仕事のことを、僕は「高級ルーティンワーク」
と呼んでいる。
しかし、そうした時代は終わりつつある。自ら論理(結論仮説)をつくれる人、
それに応じた情報収集ができる人が求められるようになってきているのだ。
おそらく芸や芸術に関係してる人は、自分の殻を壊したいと思ってるはずなのに第3者の目線で見ると、ますます殻が強固で大きくなってるような印象が強くなるのはなぜだろうか?
wikipediaの「無意識」に下記の図が乗っている。氷山を例にして「意識」と「無意識」がどの位大きさに差があるかを示している。
意識的に行動してるつもりだが、実は無意識の支配から逃げられないのかもしれない。
これからの時代は、インプットよりアウトプットが大事になる
だとすれば「無意識」を味方につけることは重要かもしれない。
人間には経験や学習によって得た記憶・知識以外に、
生得的または先天的に備えていたとしか言えない
「知識」や「構造」が存在する。
人が悩んだり行き詰まったりする時、その原因の大元は「今」にあるのではなく、ずっと以前の幼少期にある場合ということがある、重症であればあるほど過去に問題がある。
しかしそのことは無意識の中に潜んでいる。
心の領域の問題は加藤諦三の著書に答えが見つかる可能性が大。
「無意識」を味方につける場合ヒントは、子供の頃好きだったことや、楽しかったことに隠れているはず。
表に出ている「意識」の領域は、子供の頃に比べると随分変わってるかもしれないが、水面下の「無意識」はほぼ原型を保っているのではないだろうか。
冒頭の夢の話だが、夢に出たことで煩悩が1つ減るような気がしていて、
今は悪い気はしない。