違う見方

誰でもできるけど、自分にしかできないのが、判断するということ! 情報過多な現代は偏り(バイアス)も強いので思わぬ方向にずれていくこともある。そんなズレを修正したりブレーキをかけるために少し違う目線を持ってみたいという備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

知らずに陥る『受注体質』

営業の結果、契約に至ることを「受注する」と呼ぶが、この受注という言い方が暗黙のうちに伝えるのは、客も契約も会社に帰属するもので、営業パーソンに帰属するものではないという雰囲気(空気感)だ。

 

少し前まで、営業パーソン(多くの場合マンだったが)は誰しも客は自分のものだと考えていた、成果を独り占めしたいというよりも、アフタフォローを含め担当者は自分だと感じていたからだ。

 

逆に考えると、お客の方も営業パーソンの人柄を評価していたから契約が成立していたといえる。

 

理屈に情が勝ることはしばしばあったし、むしろ情が重要だった。

 

今でも情は大事なのだが、営業パーソンと客が情で繋がる状況がドンドン減っている。

 

直接会うよりは、電話で済ませるほうが効率良いと考えられ、更に現在では電話ですらTPOを束縛するので良くないと考えられ、メールやその他デジタル情報でのやり取りが増えている。

 

合理的な理由がいくつも当てはまるこのコミュニケーションの変化は、客と営業パーソンの間に成立していた情の結びつきを弱めている。

 

昔だったら、営業パーソンにとってお客は実体があるから情を感じていたが、今はお客は会社の看板が集めていると解され、営業パーソンにとって、お客はデータの一つになっている、会社から見れば営業パーソン自体がデータ化していると言えるだろう。

 

契約の獲得を受注と呼ぶことが増えたことの背景には、あらゆるものがデータ化し情を表面から排除しようとしたからだろう。

 

情報がデータ化すると、情報は受注するようになる。

 

 

カーナビが、新車に標準装備されるようになり、目に見えて普及しだした頃、ナビ任せで運転する人と、ナビは使うが地図でルートを確認する人と、ナビを(あっても)使わない人の3種類に別れた。

 

ナビが出る前は、目的地とルートが決まってる場合、「あそこにこんな建物があるよね」や「あそこに変な看板あるよね」という会話が成立していた。

 

いわゆるランドマークと言われる特徴のある地理的目標物は共通認識の対象だったのだが、このランドマークの話がナビ任せで走ってる人との間に成立しないことが増え始めた。

 

ナビというデータに頼ることで、情も刺激するランドマーク情報を必要としなくなったのだ。

 

合理的に行動することは出来るが、つまらない人間になりそうだ。

 

 

 

同様に、検索エンジンの発達は、知らないことは検索すれば分かるようになるということを可能にしたが、同時に、知ってることの価値を低下させることにも繋がった。

 

検索エンジンの発達は、賢いんだか賢くないんだかわからない人を大幅に増やしたのかもしれない。

 

 

 

インターネット登場前のマスコミは、情報の取捨選択を行うことで、情報の序列化を実現していたが、その序列化は、一定の見識と判断のもとに行われていて、多くの人にとって重要なものであるということは共通理解されていた。

 

この情報の序列化は諸刃の剣で良いことばかりではないが、一定の水準は保てた。

 

つまり、既存マスコミがコンテンツを通じて行っていたことは”価値の交換”だった。

 

一方、インターネットは、と言うよりも検索エンジンは、情報の並列化を加速させ、稀有な有用な情報と検索するまでもなく知ってる情報を同じ価値にしてしまった。

 

 

これらは、情報の受注化の弊害かもしれない。

 

 

 

これらはすべて効率良く結果を出すために敷かれたレールなのだが、上手く行かないのは、人間自体の劣化が進んでいるからだ。

 

情報がデータ化し、それを効率良く処理し、結果を出すことを求め続けると、人間が主役で展開されるべきトータル力としてのプレゼン能力が劣化していく。

 

情を理解できないで効率の良さだけを求めて発される情報は空回りする。

 

シンプルに言うと、インプットよりもアウトプットが大事で、だからこそ存在意義が出てくるのがSNSかもしれないと言われ始めている。

 

いろんな思惑を秘めても自由に発信できる世界はピンキリの世界だが、長期間継続すると発信者の素だけが残る。

 

匿名であっても、自分自身のキャラクターをプロデュースしてることになるし、飾り立てた部分の虚飾はすぐに剥げてくる。

 

だから、継続することが重要になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今の時代のブラック問題のようなネガティブな要素は、受け身の行動が作る受注体質から生まれている。

 

受け身でない行動が活路を拓くだろう。

 

どんな行動が受け身ではないのか?

 

こんな時代だからこそ、本当に大事なことは検索しないで決めるということだろう。

 

検索することがダメなのではなく、検索で出てくるものにたぶん答えはない。