平等とは何か?
この問に関する正解は、私の中では、"機会は平等、しかし結果は不平等"だったし、今でもそう思っている。
しかし現在、世間の多くは、機会すら不平等であると感じることが増えているようだ。
教育格差「当然」「やむをえない」6割超 保護者に調査 2018/4/5
上記の調査には、調査の仕方に問題があるという指摘もある。
教育格差を「当然」と思うか思わないかという設問が成立することは、時代の空気が作り出している。
教育や選挙(投票)は、当り前じゃなかった時代の人は、獲得した権利だと感じていただろうが、現代人には上からあてがわれたもので、有難みを感じられないからかもしれない。
私の印象では、昔は貧乏な子ほど勉強していたイメージがある。
きっと、二宮尊徳(二宮金次郎)のせいだろう。
http://r-ijin.com/ninomiya-kinjiro/
最近の子供はこの銅像を知ってるだろうか?
二宮尊徳の時代は、"人生は一寸先は闇"と言われていた。
江戸時代に生まれたとされるこの表現は、夜の暗闇は本当に真っ暗で、足元も見えないことから、例え話として生まれたとされている。
参考:一寸先は闇
また、こんな話も出てきた。
「このまま何も手を打たなければ、30年後には独身・低収入の高齢者であふれ返る。日本の財政は年金ではなく、生活保護で破綻する」
格差は世代を超えて固定化し、日本社会には格差社会よりもさらにシビアな「新たな階級社会」が訪れているのです。それは、生まれた家庭や就職時期の経済状況によって階級が決まる“現代版カースト”とも言える世界です。
"一寸先は闇"の意味が時代とともに変化している。
昔の"一寸先は闇"は、先が見通せないという意味で、未来に向かうとは未知に向かうことを意味していた。
しかし、最近は"先はどうせわかっている"という意味で使われ始めている。
社会の表舞台の全ての尺度が、お金を基準にしている。
お金を尺度に用いることは、幸か不幸かわかりやすさがあるのが厄介だ。
つまり、正論でもあるので異を唱えても説得力に乏しいのだ。
私の持論だが、正論の180度反対も正論として成立する、と考えている。
ただ180度反対に注目する人が少ないから、その存在が無視される。
「お金は大切で、お金がなくては生きていけない」が正論ならば、その180度反対も正論として成り立つはず。
この180度反対をどう定義するかが、生きることを新しくデザインするということに繋がる。
しかし、今あなたは生きています。
あなたは、「今」を輝かせ、「未来」を創造し、「過去」を良きものにすることができる権利と可能性をもっています。
デザインが間違っていると、トンチンカンなことが起こる。
こういうのは『デザインの敗北』ではなく『デザインの不在』と評すべきだと思う。「”デザイン”とは他者とコミュニケーションすること」なのだから。https://t.co/P80W9A1EBs
— SIVA (@sivaprod) 2018年4月3日
良かれと思ってやってることが裏目に出る時は、迷わず180度反対を考えよう!
1年前にも同じようなこと書いていたので(2)を付ける。