2004年の12月から『振り込め詐欺』に名称が統一されることになった電話や文書を使った詐欺の呼び名は、それ以前は『オレオレ詐欺』だった。
ウィキペディアでは、オレオレ詐欺の起源を1999年頃とみてるが、当初は稚拙だったが意表をついた手口なため騙される人が続出し、やがてその手口が周知されるようになると、犯罪者の手口の巧妙化が進化し始めた。
手口だけを分析すれば、その要素は、まともなビジネスを上手に展開するのと全く同じになってきた。
ありもしない事実に基づいていたり、商品がデタラメだったり、そこ以外は、ビジネスの王道を行くように展開されるようになっていった。
オレオレ詐欺が振り込め詐欺に進化していく際に用いられた手口を参考にして、後追いでブラック労働が進化していったような気がする。
ブラック企業とは、もともとは離職率の高い企業を指していたが、劣悪な労働環境を意味する言葉として社会問題化し始めたのが2008年頃とされている。
詐欺もブラックも、最初の第一歩は、いわゆる『営業』から始まる。
詐欺やブラックの営業は、なぜ功を奏するのだろうか?
2007年の記事だがこんなものがあった。
見事1位の座に輝いたのは【福山雅治】
「営業トークも面白そう」(広島県/20代)
「爽やかで嘘をつかない印象がある」(東京都/30代)
「親近感もあるし、説得力もありそう」(栃木県/40代)
続く2位には【妻夫木聡】がランクイン
「誠実そうで親身になってくれそう」(茨城県/30代)
「一生懸命の誠実さが伝わる」(静岡県/30代)
3位の【織田裕二】
「誠実そうなイメージ」(東京都/40代)に加えて“熱さ”が評価されてのランクイン
「眼力に負けそう」(大阪府/30代)
「気迫に負けて加入してしまいそう」(広島県/20代)
「テンション高くすすめられそう」(富山県/20代)
「説得力がありそう」(神奈川県/40代)
「とても信頼感がある」(福井県/30代)
これは女性だけでなく、男性にも当てはまるはずだ。
おそらく詐欺やブラックは、営業の段階では好意的に受け入れられてると思ったほうが良いだろう。
詐欺に騙されなかった人々は、たまたま家族間のコミュニケーションがあったからだけかもしれない。
そうなると、自衛手段の第一は、"知らない人の話を聞かない"、"知らない人と話さない"となるのは自然な流れ。
こういう流れは、"空気"となって伝わるのかもしれない。
お子さんに「知らない人と話さないように」って教えていらっしゃいますか? YAHOO知恵袋 2011/7/25
キーワードとして、"共感"、"コミュニケーション"が上げられる時代になってる一方で、その正反対の動きも増えている。
この意識は、接客という分野にもきっと影響を及ぼしてるはずだ。
販売員に声をかけられることに嫌な思いをしたことのある人は多いだろう。
販売員をしてる人でも、「私だったら、そんな声かけはしない」という声かけをされて嫌な思いをした人もいるだろう。
ネット通販は、支払総額で考えると現在では必ずしも最安とは限らない。
それでもネット通販を利用する理由の一つとして、直接対面のコミュニケーションがないということが大きいかもしれない。
直接対面のコミュニケーションは、高度な訓練の場にもなる。
好感度の高い詐欺師の口調や表情と、伝える内容の不一致を、見抜く程度の訓練をしてなければ、ネット上での活字だけでのやり取りでは、ますます嘘が見抜けなくなる。
しかし、粘る相手を断るストレスから逃げたい気持ちの方が強いかもしれない。
事件は現場で起きるもの。
詐欺や誤解が発生する最前線の現場では、営業が展開されている。
営業を接客(術)と考えた場合、大きく2種類に分かれる。
その一つは、世間一般で言われる接客の90%を占めるだろうが、マニュアルに則って行動するもので、お客は会社や店を信頼しているような場合で、給料は働いた時間に比例するようなもの。
こちらは、ブラック化し、お客を騙すというよりも、従業員を支配しようとする。
もう一つは、お客は自分を買ってくれたと思えるような接客が行われ、給料は成功報酬になり、水商売や風俗から金融投資の世界まで幅が広く、接客にあたってのマニュアルは形式的なものに過ぎない。
法の監視も強く、コンプライアンス意識も高いが、その抜け道にも大いに関心を示す。
大きな流れでいうと、現代人は、この接客に関連する分野は「避けて通れるものならば避けて通りたい」という人々が増えているだろう
AIが奪う仕事などという話題も多いが、全く違う理由でなくなる仕事も多そうだ。
今日、こんなことを思いついたのは、次の記事を見たから。
売り手市場なのになぜ? 「ナイ内定」学生へ処方せん
お悩み解決!就活探偵団2019 日本経済新聞 2018/6/20
学生が、企業に対して、自分という商品を、営業しているその姿は"接客"そのものだ。
改めて考えていて不思議な気持ちになるのは、企業の側に求めている具体的な人財像が感じられないことだ。
これは、日本(人)だからというガラパゴスな理由かもしれないが、『何(誰)が欲しいのか』を表現するのが苦手なのだと気付かされる。
インターネットが普及し、ツイッターのように簡単に自由に言いたいことが言えるようになったように見えるが、案外言いたいことが言えてない日本人の姿が見えてくる。
思っていたより遥かに多くの日本人が、自分で考えず(考えようとはしてるが)、無難な道を選ぶ人が多そうだ。