違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

安室奈美恵の引退に感じる、引き際の男女差!

いつかは引退する日が訪れるのがスポーツ選手。

 

発揮されるパフォーマンスは、体力と技の熟練度に依存するが、この二つを両方とも伸ばし続けることは困難で、体力の低下が顕著になると熟練度ではパフォーマンスの低下をカバーできなくなる。

 

スポーツの世界は、勝負の世界なので、勝てば官軍負ければ賊軍となり、パフォーマンスの低下が、「勝てない」や「負ける」に繋がり出すと引退を余儀なくされる。

 

引退という区切りが明確ではなくても、出番が減り、やがて人目に触れなくなる。

 

この引退という引き際を考えていると、引退をセレモニーに出来、華やかに去って行く人は、本当に一握りでむしろ例外的だと言えそうだ。

 

人は必ず死ぬが、死ぬために生まれてくるわけではない。

 

何のために生まれ、生きているのか?

 

引退には、そういう哲学的な意味が潜んでいそうだ。

 

 

男は、美学を口にしたがるが、女性はどうだろうか?

 

 

そもそも、男性の引退と女性の引退では、醸し出す雰囲気が違う印象がある。

 

 

これまで見てきた男性の引退には、ブザマな姿をさらけ出す前に消えていくというニュアンスを感じるが、その姿は「もっとやれるのに」や「もうこれ以上苦しむ姿を見たくない」など、明らかに衰え、通用しなくなっていることを世間も感じている場合が多い。

 

それに対して、女性は引退を表明することが少ない気がする。

 

今引退しようとしている安室奈美恵(以下全て敬称略)は、数少ない引退を表明した一人だが、その姿はファンからはこう見えている。

 

 

ファンは、衰えを感じていない最中で、引退を決意しているのだ。

 

安室奈美恵が引退を表明したのは1年前だが、それを知って安室奈美恵と一緒にスーパモンキーズでデビューした牧野アンナさんは、こう言っている。

 

 

彼女の引退発表を聞いて最初に思ったこと…

「そっか、奈美恵らしいな」でした

 

彼女が以前言っていた…

誰かの言う通り行動して失敗しても全て私自身の失敗になる

それなら自分で考えて決めて失敗したい

それなら納得がいく

 

期限を決めて潔く引退を決めた奈美恵、

還暦まで踊ると宣言してるMAX、

正反対のようだけど、

どちらも自分の生き方やステージでのあり方に信念を持っていて本当にかっこいいじゃないか

 

同じメンバーだった者として、彼女たちみんな誇りに思います

 

 

牧野アンナさんは、今年の8月安室奈美恵の引退を間近に控えてる時期に、マスコミのアポなしの自宅への取材を受け続けたことをブログに書いている。

 

 

奈美恵の引退についての取材に対しての私のスタンスは以下の通りです。

 

彼女(または彼女の所属事務所)の許可なしに取材をお受けする事はありません。

 

また彼女とは同じスーパーモンキーズのメンバーとして活動していたましたが、その後プライベートでの付き合いが続いていたわけではなく、ここ数年は顔を合わせる機会もありませんでした。私の知り得ている情報はもう25年以上前の事です。

 

 

牧野アンナさんが1年前のブログで、「奈美恵らしいな」と思った発言は、25年以上前、まだ10代の頃の安室奈美恵のものなのだ。

 

 

男性は、長く続けることに価値を見出す傾向がありそうなのに対し、女性は自分らしさに価値を見出す傾向があるように感じられる。

 

はっきりと引退を表明した女性の有名人で思い出すのが、

 

 

引退は結婚が理由だったが、発言よりも、最期にマイクを置く姿が印象的だった。

 

 

山口百恵(伝説の人だから敬称略)が伝説になった理由の一つが、引退後自らの意思では一度も表舞台に出なかったこともあげられる。

 

 

男性の引退を思い出すと、恋愛でフラれた男との共通点が多く垣間見え、女性の引退は、男をフるのに似て見える。

 

フラれた男性は未練タラタラだが、フッた女性はきれいさっぱり忘れるのに似ているのが、引き際の姿。

 

現代は、ユニセックスの時代なので、男女の違いは昔ほどではないかもしれないので、男性だから女性だからと一概には言えないが、引き際が未練タラタラでその見苦しさを美学と表現するのが男性的だとすると、きれいサッパリ後腐れなしを理想とするのが女性的と言えるかもしれない。