違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『年齢』に関して気付く今更ながらのこと!

今更ながら気付くことには発見がある。

 

 

古い小説(舞台が1950年〜1960年)を読むと、20代後半のサラリーマンはものすごく大人に描かれていて、40代は完全に老人のように描かれていることがある。

 

 

日本が短期間のうちに急速に人口が増え、寿命が伸びたことが実感できるとともに、人口における年齢の分布の幅が如何に変化したかが感じられる。

 

年齢を重ねるということは、自分の意思とは関係なく、“ところてん”が押し出されるように進んで行くような印象がわたしにはある。

 

探してみると同じような感覚を持ってると思えるツイートがあった。

 

 

 

最近世間で何かと話題の45歳。

 

45歳とはいったいどういう年齢だろうか?

 

 

45歳だっていろいろ。

 

 

 

今の日本で45歳が何を示すかというと、最後の好景気バブルを知ってるか知らないかの境い目世代としての位置付け。

 

 

就職時にはバブルが崩壊してたかもしれないが、過ごした青春時代にバブルは大きく影響していただろう。

 

当事者にとっての45歳はどういうものかというと、

 

 

45歳以上が劣った存在だからリストラされるということは、年齢が若ければ優秀という意味に感じられるが果たしてどうなのだろうか?

 

若さがテーマになる場合、男性よりも女性の方が不快を強いられることが多いはず。

 

 

リンク先の記事には次のような話がある。

 

アナウンサーに限らず、入社当初は若手女子であるという理由で注目され引き立てられたが、年次を重ねて後輩がどんどん入ってきたり、あるいは自信をつけて主体的な発言をするようになった途端に煙たがられ、性差別的な構造に気づく女性は少なくないだろう。

 

この話の、女子や女性と書いてある部分に年齢を当てはめて男女共通にする方が現代にはより当てはまっている。

 

45歳の話に戻ると、

 

 

こうやって見ていくと、若さが武器だと思っていると足元を掬われることに気付く。

 

若さを年齢で定義すると、遅から早かれ『若さ=過去』そのものになってしまうから。

 

世間には年齢を基準に定義されることが多く、そのせいで一人で勝手に苦しむ場合がある。

 

年齢を基準に考える習慣は成人したらやめた方が良いかもしれない。

 

年齢を基準に迫ってくるものは、いつもどこか脅迫的なものばかりだから。

 

そんな時は、年齢なんてどうでも良いと思えば良い。

 

 

 

だって、

 

何歳であろうと、

 

生きているのはいつでも

 

 

『今でしょう』!