違う見方

誰でもできるけど、自分にしかできないのが、判断するということ! 情報過多な現代は偏り(バイアス)も強いので思わぬ方向にずれていくこともある。そんなズレを修正したりブレーキをかけるために少し違う目線を持ってみたいという備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

世の中は、気になりだしたらキリがないものばかり!

世の中には、我慢できない音や声など、耳から入ってくる刺激がある。

 

不快なことや、不満なことを、十把一絡げに"ハラスメント"と表現しがちな昨今だが、この音や声にまつわる不快感を一言で表現する言葉が無い(私が知らないだけかも)ところを見ると、感じてるのは一部の人なのだろうか?

 

やっぱり、人が集まる場所で起きやすいのかもしれない。

 

 

「音ハラスメント」は、まだ市民権を得た言葉とは言えなさそうだが、そう表現することがふさわしいのかもしれない。

 

 

次の話は、私にとっても「あるある」という話だ。

 

「中高年のキーボード音が嫌で退社する新入社員」にマツコ「そんなやつ辞めちまえ!」

「その中で一番多いのが『キーボードを叩く音』、あるいは『エンター(キー)を叩きつけて押す音』」

 

 

 

 

ミソフォニアなんて言葉があるなんて知らなかった。

 

 

ウィキペディアではミソフォニアを、こう説明している。

 

ミソフォニアを患っている人は最もよくある場合、鳴らし、ズルズルの音立て、咳払い、爪切り、そしゃく、飲用、歯磨き、呼吸、鼻のクンクン鳴らし、会話、くしゃみ、あくび、徒歩、ガムをかむことまたはバブルを破裂すること、笑いいびき、飲み込み、ゴクゴク、げっぷ義歯のかちっという音、タイピング鼻歌、口笛, 歌い、ある子音の音や、反復的な音により、怒りの感情が生じる。。<発汗、筋肉緊張や高心拍数などの「闘争・逃走反応」の症状が出る。

 

他に、あるいはその他の体の一部の反復的な動き、そわそわすることや、横目で観た動きのような視覚刺激に影響を受ける人もいる。

 

 

 

 

 

"ミソフォニア"をGoogle Trendsで検索可能な2004年以降で見ると、

 

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ミソフォニアは、最近のことばだとわかる。

 

昔からあったのかもしれないが、定義されたのが最近で、音を出す側の人は、マナーに問題があるという扱いを受けることが多い。

 

我慢は強いられるのが当たり前だと思っていると、不満を敢えて口にするとわがままだと言われる。

 

しかし、我慢はしなくて良いという考え方が広まると、不満の限度が際限なくなる。

 

我慢しなければいけないことと、我慢しなくても良いことの境目が曖昧になるからだ。

 

 

ウィキペディアでは、ミソフォニアの治療法として、こんな方法があげられている。

 

最も広く適用される治療方法は患者の周りの環境に雑音を加える療法である。増加した雑音により反応を引き起こす音を聴くのが少なくなり、したがって反応も少なくなる人が多い。

 

 

音が気になる場合は、音で消す方法としてイヤホンの活用がある。

 

 

 

 

 

しかし、隠せば良いってものでもなさそうだ。

 

 

現代版、"頭隠して尻隠さず"だろうか?

 

このミソフォニアの場合のイヤホンに似た役割をするものにマスクがある。

 

 

 

“マスク依存症”が増加する理由 社交不安障害も 「マスクを着けると安心」は要注意

「以前は、サングラスや帽子などで自分の表情を隠していたが、積極的にマスクを着ける人が増え、さらにコンビニやドラッグストアで簡単に手に入るようになってから、表情を隠す道具として定着した。マスクの場合は『緊張している自分を隠せる』という安心を手軽に得られるので、依存症になりやすい」(渡辺所長)

さらに拍車をかけているのが、「スマートフォンやパソコンの普及で直接顔を合わせなくてもコミュニケーションが取れるようになったこと」だと渡辺所長は言う。

 

 

「マスクを着けている理由は人それぞれで、例えば自分の顔にコンプレックスがある場合は外しづらく、着けている方が安心感を得られる場合もある。もちろん、マスクを外し、ありのままの自分を受け入れられるようになることは大切だが、急いでマスクを外そうとするのではなく、まずは自己理解を深めていくことが重要」(武藤所長)

 

 

 

 

私は、ど近眼なので指摘されるまで気付かなかったが、メガネも顔を隠すのに一役買っているらしい。

 

隠したいものが増えると、大活躍するのが耳だ。

 

 

 

一つ気になることができると、別のことも気になり、それらは複雑に絡みだす。

 

 

結局、最後は堂々巡りになってしまう。

 

 

とことん悩んで、悩むことは無駄だと知ることが大事なのかもしれない。

 

悩みに貴賤はないが、現代人は、どうでもいいことに悩みすぎているのかもしれない。