音恐怖症とも音嫌悪症とも訳される音に過敏な反応をすることはミソフォニア(Misophonia)と呼ばれる。
GoogleTrendsで見ると2015年の夏以降急に認知され始めたワードだとわかる。
ウィキペディアには次のような症状が挙げられている。
ミソフォニアを患っている人は最もよくある場合、唇鳴らし、ズルズルの音立て、咳払い、爪切り、そしゃく、飲用、歯磨き、呼吸、鼻のクンクン鳴らし、会話、くしゃみ、あくび、徒歩、ガムをかむことまたはバブルを破裂すること、笑い、いびき、飲み込み、ゴクゴク、げっぷ、義歯のかちっという音、タイピング、咳、鼻歌、口笛, 歌い、ある子音の音や、反復的な音により、怒りの感情が生じる。発汗、筋肉緊張や高心拍数などの「闘争・逃走反応」の症状が出る。
これを読む限りでは程度にもよるが、決して特殊な反応だとは感じられない。
挙げられてる多くのことは、むしろマナーの問題として嫌われる行為なので、嫌がって当然だとも思える。
静かに音を立てずに振る舞うことが常識だと考えられる場、例えば映画館や図書館や講演会などでは、音を立てることは嫌われて当然で、嫌がることは症状であるとは思えない。
これらとミソフォニアの違いはどこにあるのかを雑談として書いてみたい。
これから書くことは、自分の体験や経験の範囲で思ったこと。
以前は、マナー違反となるような音は、最初の一回はクスっと笑いを誘うこともあったように記憶している。
しかし、現代では最初の一回目から許容されなくなっている。
何か理由があるのか、それともただの時代の変化だろうか、ということを考えてみた。
ミソフォニアは症状であり障害の一種だと考えられてるが、何の障害かというと情報処理を巡っての障害だと考えられる。
マルチタスク能力が求められる現代は、複数の案件や悩みやストレスを誰しもが抱えているが、人間は基本的に情報処理はシングルタスクでしか処理できないという現実がある。
マルチタスクに情報を処理をしてるつもりでも、実際にはシングルタスクを短時間に切り替えているだけだ。
本当に同時に複数の情報を処理しなければいけなくなった時、ほとんどの人はフリーズするしかなくなるのだ。
そのような同時に発生する情報処理の一つが音に関係してる場合、本来の優先順位からすると音の処理は後回しにするか、場合によっては無視すれば良いだけであっても、それを処理しようとして、本来優先しなければいけないことも疎かになることが、イライラや不満をより一層増幅させるのではないかと感じられるということを自己分析の結果気付いた。
一つ一つは大したことない、むしろ簡単なくらいのことが同時に課せられると人間は混乱する、簡単なことができなくなるから余計に混乱するのだ。
簡単なことなのに複数の課題が課せられると混乱することの事例として有名なのがストループ課題(効果)。
これが難しいのは、脳で2つの情報(A語/B語)が同時に想起され干渉し合い、必要ない方を”抑制”しなきゃいけないからですね。この作業に人の認知機能の中枢機能(実行機能)が関わってる。
— Podoro (@podoron) May 22, 2018
仕組みは、文字の色と意味の情報が衝突するストループ課題が難しいのと同じ。(バイリンガルストループ効果)2/ pic.twitter.com/zdCuUa6rRU
ミソフォニアの人にとっての『音』は、ストループ課題に混乱する人にとっての『色』のようなものかもしれない。
現代には、このように複数の情報処理を同時に課されることが増えている。
課される複数の課題が困難であれば、一つを選んで他を無視することは容易だが、全て簡単なことだったら同時に処理しようとしてしまうだろう。
ミソフォニアの場合、音に関すること以外におそらく本命の課題があると思われる。
音を処理するなどなんてことないことが、処理できない場合、本命の課題への集中力が得られなくなる。
集中力というのはおもしろいもので、集中力があると一つのことしかできなくなるのだ。
集中力が無いとは、複数のことをしようとしてるということ。
集中しなければいけない課題があるのに集中できない時、その原因となってるモノやことや人に対して怒りを感じるようになる。
わたしが音に不快感を感じるのは、キーボードの音が多い。
他人のキーボードの音が気になる時は、もちろん集中力などまるで無い。
自分が悪いと言えるのだが、音を立ててる人に対して怒りを感じることがある。
「怒り」をコントロールするには「相手を見下せ」どういうこと?ーー里崎智也の「下克上人生相談」https://t.co/beqlhdwWc0
— ゲットナビ編集部(公式) (@getnavi_gakken) April 4, 2019
他人に対して怒りを感じるのは、何らかの「期待」をしているから。「もっとほかに言い方があるだろう」とか「自分がこれをやったのに、なぜあれをやってくれないのか」などと思うから、腹が立つんです。ならば、怒らないための方法は簡単。相手を「見下す」ことです。イヤなアドバイスに聞こえるかもしれませんが、事実、相手を「考える能力が足りない残念な人だ」と思えれば、腹が立つことなんてありえませんからね。
ただし、それと同時に自身の能力も疑ってみましょう。
インターネットがあるおかげで、自分だけが気にしてるのか、あるいは大勢が気にしてるのかを、知ることができる。
ネットがありがたいのは、大量の情報を目にしていると、自分に起きていることが、珍しくもない一つのパターンだと分かること。
— フーセンカズラ (@foosenkazura) April 4, 2019
ミソフォニアも、非定型諸々も、まだ発展途上の言葉や概念だと思うけれど、知ることができなかったらと思うと恐い。 今こうしていられるのは言葉のおかげ。
ミソフォニアの人は、特に音に追い詰められたりしていると、耳の感覚を研ぎ澄まして、自らトリガー音を探しにいってしまうことがあるような気がする。
— フーセンカズラ (@foosenkazura) April 1, 2019
この状態に陥ると、自分の苦しみも、周囲の無理解への攻撃的な気持ちもエスカレートするので、とにかく離れて落ち着いたほうがいい。
怒りを感じたり、混乱してる時は、複数の課題を抱えていて、しかもその原因になってる課題は無視すれば良いだけの簡単なものである場合がほとんどだと思えば良い。
インターネットが無ければ、こんなことも気づかなかったかも知れないと思うと、つくづく良い時代になったと思えるが、複数の課題を抱える必要が出たのも時代のせいだと思うとパラドックスは表裏一体だという皮肉を感じる。