違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

【メビウスの輪(帯)】草食や社畜がいるから、肉食や脱社畜も生きていける!

人間の属性を4方向から見てみた。

 

東西南北のように、数学のX軸とY軸で形作るグラフのように視点を設定し位置づけることで見えてくるものがある。

 

分類の軸が少ないから、見えるものは大まかな傾向に過ぎないだろうが、敢えて分類すると、分かってるようで分かってなかったことや、なんとなく感じていたのだがうまく表現できないものが表現できるようになる。

 

積極的な行動を「肉食(肉食系)」と呼び、消極的な行動を「草食(草食系)」と呼ぶ呼び方が定着したのはいつ頃からだろうか?

 

女性誌が恋愛特集で最近の男性の特徴として「草食性」を上げ始めたのが2008年頃からで、その対策として女性が「肉食化」する必要があると訴え始めた辺りが起源だろうか。

 

Google Trendsで見ると、2009年の年明けと同時に定番化されたことがうかがえる。

 

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草食系男子という言葉の登場が、肉食系女子という言葉の誕生につながることと関連があるかのように、2008年の9月に「H&M」日本初出店、そして2009年の4月に渋谷に「FOREVER 21」の日本1号店がオープン。ユニクロ、GAPなども含めファストファッション(安くて手軽なファッションのこと)がブームとなった。 

 

それまでは、日本の女性は男性に選ばれなければいけない存在だと吹き込まれ続けていたが、肉食系女子の時代になって選ぶ側になると、選ばれるための気遣いは自分自身に向かうのは必然で、男性が好きなファッションよりも、自分がしたいファッションが優先され、時代の空気感もそちらに傾くのは当然かもしれない。

 

場の空気が読めないことを略して「KY」と呼ぶことが2007年の新語・流行語大賞にノミネートされたことも、従来の価値基準を当て嵌められることへの抵抗の始まりに感じられる。

 

 

男性の草食化を示すものとしてこんなものがある。

 

元記事が削除されてるのでツイートで載せると、

 

 

このように、男性の草食化を裏付けるようなデータ(らしきもの)も出てくるようになると信憑性が増してくるが、長いこと日本では重宝された血液型占いを含めた血液型で人を分類する方法が流行らなくなったために、その代わりとして草食肉食という分類が生まれたという説もある。

 

GoogleTrendsで見てみると、

 

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たしかに、言われるとそんな気がするような推移を見せている。

 

 

この「草食⇄肉食」を1つの軸とすると、もう1つの軸には何が相応しいだろうか?

 

最近のキーワードになってるものが良いだろうが、様々ある中で今日は「社畜」を選んでみたいが、この言葉は厄介なことに反対語が明確ではない。

 

この数日で、世間の一部で「社畜」に関して盛り上がってる話題がある。

 

そこでは、社畜の反対語として「脱社畜」という言葉が使われている。

 

発端はコレみたい

 

 

これを受けて、それなりの立場の方々が参戦している。

 

 

 

このやり取りを見てると、社畜の反対語は「脱社畜」で良さそうだが、念のため定義をするならばこうなるようだ。

 

 

そんな「社畜」「脱社畜」をGoogleTrendsで検索可能な2004年以降で見ると、

 

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脱社畜はまだ認知途上の言葉だと分かるが、社畜という概念が社会に定着したキッカケの一つに東日本大震災があるような気がしてくる。

 

 

そこで、もう一つの軸を「社畜⇄脱社畜」に設定すると、

 

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こういう設定にすると、無意識のうちに「草食」「社畜」をマイナス側に置いてしまうのは偏見であり先入観のなせるわざだろうが、敢えて表現するとこうなる。

 

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①が一番良くて、③が最悪で、②と④はどちらが良いとか悪いとは単純には言えなそうだ。

 

このような捉え方をするときは、無意識のうちにフィルターで濾し取るような捉え方をしている。

 

そういうやり方がうまくいく場合とそうでない場合がある。

 

 

耳心地の良い「少数精鋭」だが、特徴は長期間持続しないことだ。

 

つまり、上手くいっても期間限定だ。

 

歴史を振り返ると、少数精鋭を追求した後には必ずこういう言い伝えが生まれる。

 

成果を上げるのは全体の2割だが、その2割に該当するもののみで構成しても、機能するのは結局2割に過ぎない、因果関係として立証はできないが、昔から言われ続ける経験則だ。

 

生産性や効率を重視することは、果てしなく2割を追い求めることで、結局生産性も効率も良くない、現代に起きているのはそういうことばかりだ。

 

人間を含めた生き物の存在価値はその多様性にある。

 

本屋に行くと似たようなタイトルの本ばかりが並び、マスコミの報道も同じようなことばかり、バラエティ番組ですら画一的になりバラエティに富んでない。

 

すべてが、同じフィルターで濾し取られているようだ。

 

自然界に存在する弱肉強食という自然淘汰とは全く異質の個性の淘汰が進行中だ。

 

 

合言葉のように教育の場でもビジネスの場でも『個性重視』というアピールだけが繰り返されるが、あらかじめ模範解答が準備されていて、それに沿ったものだけが個性として評価されているに過ぎない。

 

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https://withnews.jp/article/f0190111004qq000000000000000W00o10101qq000018621A

 

 

ここまで書きながら改めて思ったことは、

 

「草食⇄肉食」も「社畜⇄脱社畜」も、正反対のようでありながら、お互いに依存し合う共依存の関係だということ。

 

一見「裏と表の関係」だが、実は「メビウスの輪(帯)」なのかもしれない。

 

だとすると、両者は同じということになる。

 

 互いに依存し合いながら、実質的には同じと言って良い存在同士がお互いをバカにしあっているのが現代の不思議なところだ。

 

人間のやることには謎が多い!