違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

楽観主義でGo〜!

新成人に贈るつもりで昔の自分に言いたいのが、

 

 

楽観主義でGo!

 

 

そんな話をしてみたい。

 

 

 

19世紀の作家オスカー・ワイルドは、「楽観主義者はドーナツを見て、悲観主義者はその穴を見る」と言った。

 

フランスの哲学者アランは、著書「幸福論」の中でこう言っている。

 

『悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである』

 

 

この言葉は有名だが、この後には続きがある。

 

 

『気分にまかせて生きている人はみんな、悲しみにとらわれる。否、それだけではすまない。やがていらだち、怒り出す』

 

『ほんとうを言えば、上機嫌など存在しないのだ。気分というのは、正確に言えば、いつも悪いものなのだ。だから、幸福とはすべて、意志と自己克服とによるものである』

 

 

大事なことを太字と下線で強調。

 

楽観主義には意志だけでなれるとのことだが、掛かる時間はどのくらいだろうか?

 

楽観主義に向かう努力を「自己決定」する!

楽観主義になるため、意志の力で、「よし、ここは楽観主義を選ぼう」と0.3秒で決意する。するとなれるんですよ。楽観主義を選ぶ。

 

勇気づける人は、いざという時にポジティブな人だと思うんです。いつでもポジティブじゃなくて、いざという時にポジティブな人。

 

 

童話「北風と太陽」の場合、北風は悲観主義者で、太陽は楽観主義者。

 

 

イギリスの政治家ウィンストン・チャーチルは、こう言った。

 

悲観主義者はあらゆる機会の中に問題を見いだす。

楽観主義者はあらゆる問題の中に機会を見いだす。

 

こうやって比較すると、悲観主義者は真面目であることが分かるし、日本の教育に似ている気がしてくる。

 

複数の選択肢の中から、正解や間違いを選ぶことを教わることが多いし、そういう試験も多い。

 

そういう試験に慣れると、解答者の価値観や意思よりも出題者の思惑の方が上位に位置するようになる。

 

これは、「忖度」そのものだし、必要以上に事態を深刻に捉える傾向につながる筈だ。

 

 

そうなのだ、悲観主義者の言動は、どこか大袈裟で、芝居染みているのは、メンタリティが被害妄想型だからだろう。

 

悲観主義は、日本的な感じがしてくるが、だとすれば日本人の寿命の長さをどう説明できるのだろうか?

 

想像すると、楽観主義の方が長生きしそうな気がするのだがと思い検索すると、おもしろい記事があった。

 

悲観主義の効能―長寿に寄与との研究も  THE WALL STREET JOURNAL     

 

これはアメリカでの研究の話のようだが、楽観主義を良しとするお国柄の人が長生きしたいと考えた場合、悲観することも必要な要素だと気付くらしい。

 

何事にもポジティブであることが良しとされると、楽観主義にならざるを得なくなるが、どうやらこれが悲観主義とは種類が違う忖度を生み出し、それが心と肉体を蝕むようなのだ。

 

 

アメリカのトランプ大統領が地球温暖化を認めないという話が伝わると、多くの日本人は嘆くだろうが、これこそが楽観主義と悲観主義が極端なかたちで現れているのだ。

 

楽観主義者は、問題が起きた場合原因は自分の外側にあると考え、悲観主義者は、自分の内側に原因があると考えるからだ。

 

トランプ大統領は、楽観主義の良いお手本ではないかもしれないが、楽観主義者の良い点は自分に絶対的な自信があることだ。

 

 

日本で生まれ、日本で日本語で育つ人の多くの「三つ子の魂」は悲観主義だ。

 

しかし、それは意志で克服できる。

 

「案ずるより産むが易し」ということわざもある。

 

日本人で楽観主義で私が思いつくのは明石家さんまさんだが、テレビで見るあの姿は生まれつきではなく、意志で克服した姿なのだ。

 

明石家さんまの『つらすぎる生い立ち』 あの笑顔からはとても想像できない…

 

 

 

今日言いたいことは、日本人の新成人だけでなく、全ての世代に向けてだ。

 

不安や心配事を抱えた人間は、やがて限界に達すると怒りっぽくなる。

 

怒りっぽい日本人がすごく増えてるが、すべて真面目な悲観主義者であることに端を発している。

 

 

今こそ日本人には「楽観主義」が必要だ!