伝える情報の総量はメディアの種類で大きく違うと言われてる。
一般的なイメージでは次のツイートが近いだろうか。
持論だけど、文章→写真、音声(ラジオ)→映像で情報量が増えていくから、人柄を知ってもらったり、ゼロから興味を持ってもらったりするんだったら、1日1人30秒宣伝動画とかも面白いのでは?
— 白黒化猫 (@srkrbknk) April 27, 2018
テキストwsは初心者に需要があるかな?
読んだ本のアウトプットとか、稽古法とか、寄越せやァ!!
その伝える情報量の違いは噂ではこうなる。
動画編集のスキルを身につけるべき
— こーじ@超天才クリエイター(の予定) (@kojiness) December 28, 2018
👉動画はテキストの10倍の情報量
👉プロとアマの差が少なくなる
👉ネットの普及で動画の重要⤴
👉スキルは消えずに残る
👉癖の強い動画を作るべき
👉初心者でも写真を繋げるだけで動画は作れる#動画編集 #動画 #映像編集 #映像https://t.co/lc87Ra7SgK
「動画は写真やテキストの5000倍の情報量と言われており」って書き出しのマーケティング記事、山のように出てくるけどソースはなんなんだ
— 足立靖明/エンニュイ/0((u1+kqb:) (@adachiyasuaki) December 25, 2018
スマホや各種デバイスがハイスペック化し、さまざまなアプリが充実し、SNSも多様化する流れの中で、新聞雑誌という既存メディアだけでなく、デジタル空間の世界でもテキストメディアはオワコンだという声をよく聞くが、一方でこんな声もある。
人間の脳の構造上、テキストメディアは廃れない LINE株式会社・上級執行役員 田端信太郎氏 2015.10.15
田端かつてDoCoMoのiモードが出る前に、これもやはり高城さんが言っていたんですが、「女子高生にとってのキラーコンテンツは、100億円かけたハリウッドの大作ではなく、彼氏からのメールだ」という名言を残しています。また、明石家さんまさんが、最近、やっとスマホを持って、はじめてLINEをやり、「やばい。俺ら芸人の最大の敵はスマホだ!」と発言したそうです。そういう意味では、メディア・コンテンツ産業にとっての最大のライバルは、身近な人とのコミュニケーションだというのは、昔から変わっていないのかもしれません。
藤沢電子工学的には、情報量は「動画>静止画>音声>テキスト」なんですよね。静止画と音声ではどちらが大きいかはケースバイケースですが、とにかくテキストは圧倒的に情報量が小さい。
しかし、人間の脳の認知の仕組みから、人間が実際に感じる情報量は、これとは逆に、「テキスト>音声>静止画>動画」だと思うんですよ。それは、多分、テキスト情報が、その人の記憶を呼び起こして、人間の想像力で豊かな情報が脳の中で補完されるからだと思うんです。
また、テキストには、もっと面白い特徴があって、たとえば、文字情報だと「絶世の美女をひとり思い浮かべてください」と書けば、読み手がそれぞれに想像した理想の美女を思い浮かべてもらえる。読み手の数だけ美女が作られる。だけど、動画で実際に誰か女優さんをキャスティングして「絶世の美女」として登場させたら、イメージがひとつに固定されてしまいますよね。「うん、綺麗だけど、絶世の美女ではないよ」みたいなことをみんな言い出すと思うんですよ。
ここまでの話を皆さんはどう感じるだろうか?
デジタルネイティブあるいはスマホネイティブと言われるような方々にはテキスト、音声、写真、動画にさほどの違いは感じないかもしれない、と言うよりも掛かる手間ひまと言う意味ではテキストが最も厄介なものと感じているかもしれない。
しかし、少し前まで写真や動画は素人には技術的にも金銭的にもとてつもなくハードルが高い存在だった時代がある。
そんな時代は、やる気さえあれば誰でも書けたのがテキストだったが、筆記用具を用いて紙に文字を書き続けると言う作業は、これまたとてつもなくハードルが高い作業だった。
だからだろうが、わたしはいずれにも興味を持つことなく過ごして来て、2年前からやっとブログに手を出したのだが、その頃からブログはオワコンという話を聞く事は多かった。
写真や動画にも少し手を出してみた。
そうして感じているのがブルース・リーが映画「燃えよドラゴン」で言ったこのことばだ。
ブルースリーの名言
— makonaka中村誠(名言集) (@uVdk7ymQG4iVw6G) November 19, 2018
dont thinK feel (考えるな感じろ) pic.twitter.com/nYG52v3nhh
このことばは、今でもアメリカの経営者が好むことばの一つだと聞いたことがある。
ちなみにわたしは、Think(考えること)が悪いのではなく、その前にFeel(感じる)があると受け取っている。
そして気付いたことは、Feel(感じる)は『ことばを介す』ということ。
感じたものを理解するためには「ことば」が必要だということだ。
上記の記事の「脳の構造上テキストメディアは廃れない」は、全ての原点はことばだと言っているのだ。
テキスト以外のメディアはFeelは刺激するが、そのイメージを固定化する。
しかし、テキストだけはFeelしたイメージを固定化させず多様性を許容できる。
テキストだけが持つ絶対的な強みがあるのだ。
テキストメディアだけが持つ絶対的な強みがある以上廃れることはないだろう。
むしろ、写真や動画こそ他のものにシフトしていくような気がしてくる。
昔、ウォシュレットが世に出た時のテレビCMを思い出す。
分かった!
— 小姑早っちぃ背痒いItch嫁入り珍島宙 (@Thomedians) September 26, 2018
TOTOトイレウォシュレット『お尻だって洗って欲しい』戸川純(すらも知らなくないの?)は縦社会ビリっけつのつもりだったんすかね?
縦社会の外で生きてる日本自由人(自称アウトサイダー)には完全に何のことやらサッパリ訳わかんない【ビリは自己評価な別世界問題で無益な邪魔】してましたよ pic.twitter.com/Unst05SaT2
お尻だって洗って欲しいように、写真だって動画だってきっとテキストの助けが欲しいと思っているはずだ。
テキストメディアの将来を悲観する声が多いことを受けて、楽観的な解釈をしてみました。
ブログを書いていて、何か困難にブチ当たったら、
Don’t Think. Feel!