「時は金なり」、このことばをよく口にする人は私の経験上あまり時間を大切にしない傾向が強く、当然会社経営者やそれなりの地位にいる人が多い。
彼らが「時は金なり」と口にする場合は、誰かにプレッシャーをかける場合に使うことが多く、自分のことを棚にあげた正論風のパワハラとして行使される。
使い方はパワハラでも、正論になるのは誰にとっても時間は平等だから。
時間が平等とは、誰にとっても1日は24時間で、1時間は60分であり、1分は60秒であるという点で、時間軸をどのように取ろうとも平等だ。
時は金なりと使う場合は、誰にも平等な時間に対して、決して平等ではないお金が関連づけられるのだが、時間がテーマにになる場合やことさらに時間が重視される場合は、もう一方には平等ではないものや一定ではない変動するものが関連づけられることが多い。
そんな時間は写真を撮る場合にも関係している。
一つはタイミングとしての時間で朝、昼、夕方、夜など。
もう一つは、そのタイミングの中でどのような写真を撮りたいかでシャッタースピードをどのように設定するかだ。
設定をオートで使う人が圧倒的に多い現代では、写真撮影における時間を意識したことがある人の方が少ないかもしれない。
写真撮影で時間を意識する場合には、もう一方には光の存在がある。
マニュアルで任意に設定が選択できる場合、オートが選択しない設定は決して間違った選択ではなく、そこには予定調和を超えた世界が存在すると思いたい。
撮影に関しては、時は光なりなのだ。
レンズから取り込まれる光の量が多過ぎると真っ白になり、少な過ぎると真っ黒になる。
その間には無限のグラデーションがある(はず)。
一般的なカメラでは絞りで光の量を調節するが、私は絞りがないosmo-pocketでシャッタースピードを楽しんでみたくなり、その中でもシャッタースピードが長いスローシャッターに興味が高まりNDフィルターを購入した。
買った後の天気がずっと雨続きでまだ満足に試せていない。
当初は動画撮影が目的だったが、実際の撮影に出れない日々が続く中で色々とウンチクだけを積み重ねていると、動画では採用できないスローなシャッタースピードの方が面白そうな気がしてくる。
たぶん実際に撮り始めると、ウンチク負けするのは目に見えているのだが、時は光なりを会得したいと妄想が膨らんでいる今日この頃、思い描いた写真や予想外の写真が撮れたらブログに書いてみたい。