違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

やっぱりリテラシーが大事

おもしろいツイートがあった。

 

 

 

10年前の話とあるが、今の話としても通用する気がするのは日本だからかもしれない。

 

 

リテラシー、随分前の流行り言葉のようにも思えるが、この言葉は今こそ大事なのかもしれない。

 

昔流行った時は、ネットリテラシーや情報リテラシーと用いられ、ネット上の嘘や騙しを見抜く能力というか常識に近いものだったように覚えている。

 

 

以前からなんとなく思っていたことを書いてみたい。

 

 

誹謗中傷は実名で発信するには心理的な抵抗が大きい人が多いからだろうが、発信する場合には匿名が用いられることが多い。

 

そんな象徴がヤフコメとされていた。

 

少し前の記事だがこんなことが話題になっていたのを覚えている人も多いだろう。

 

「ヤフコメ」は日本の恥? 社内で問題視も「PVが減るから閉鎖できない」 2021/08/14

ヤフー関係者は、こう話す。

「ヤフーニュースのPVのうち、12割はコメント欄が稼いでいる。コメント欄を問題視している人は社内でもたくさんいるが、PVが減るから閉鎖できないんです」

 

 

しかし、この傾向はビジネスや経済の専門性を売りにするメディアでもだ。

 

 

 

 

文や記事は体裁が整うと真実なのか想像なのか架空なのかが分かりにくくなる。

 

記事の内容に疑義が生じる時には、本来はそのメディア自体の問題なのだが、矢面に立たされるのは著者や作家やライターだったりする。

 

矢面に立たされるのは、メディアの中の人ではなく外の人になりがちなのだ。

 

ここにはヤフコメと同じ構造があるように見えるが、決定的に違うのは、ヤフコメは書きたいことを書き込むいわば表沙汰にしづらい本音に近いのに対し、ライターや作家が自分の書いた文章を編集の都合で弄られるのは本音や真意に反することになるという点だ。

 

作家やライターが書いた記事が編集部の都合で、勝手にPVが得られそうな内容に書き換えられることもあることに、同意することを契約で求められているケースもあり、そのことに対する不満を自身のブログやTwitterで訴える人もいる。

 

そういう訴えをする方は、作家やライターとしてその編集部と縁が切れることを覚悟の上でだ。

 

最近は、多くの人が自分で発信するようになったが、匿名だろうと実名だろうと自分の名での発信を他人に改竄されるという経験は少ないはずで、これが起きる場合は大抵の場合は被害者として事件に巻き込まれているはず。

 

直接の書き手の意図を編集で弄る必要があるのはPVの獲得を含めて、編集するメディア側がポジショントークを展開したいからであり、作家やライターの書いた文が意に沿わないからだろう。

 

さて、では圧倒的に大多数の人にとっては表に出てくる情報は読み手として接することになるのだが、その中には書き手が表現したいことではないことが表現されてるかもしれないということをどのように受け取るのだろうか。

 

 

ポジショントークに対抗するための武器はリテラシーしかないように感じられる。

 

間違いには誤字脱字の類もあるが、そうではない嘘や無知が散りばめられてることに気付いた人は怒りを感じるだろう。

 

しかし、気付けない人は信じるしかないのだろうか?

 

そんな時こそリテラシーの出番なのだ。

 

訳語的には読解記述力となるが、多様な意味で知識や経験や勘を総動員させて感じ取るのがリテラシー。

 

信じて騙されるのもリテラシーならば、疑って信じないのもリテラシー。

 

根拠が薄いバクチの才能があるとかないというのもリテラシーの範疇だろう。

 

リテラシーは、他人から見ると性格や性質や気質にも見えるはず。

 

 

未来や将来をどのように捉えるか、テクノロジーに関する知識や造詣だけが問われるわけではない、問われるのは多様な意味でのリテラシーだ。

 

世の中にはたった一つの真実がある、と思いがちな人ほど、自分のリテラシーを疑った方が良いだろう。

 

 

大盛り上がりしてるように見えてるのに、実はそうでもないということすら珍しくないのだから。