世の中には様々な問題で悩む人がいる。
多くは、『答え』を求めての悩みだ。
答えを求めて悩むことは、『問題』は何かが分かっている(=理解できている)ことが前提となる。
『答え』を求めての悩みだと思っていることの中には、実は『問題』が何なのかが分からずに『答え』だけを求めてることがある。
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勉強に限らず評価がつきまとう分野、例えば会社での個人成績や投資活動における儲けにも当てはまる。
これらの悩みは『解決』することが目的のように見えて、真の目的は『希望を叶える』ことと言えるかもしれない。
極端なことを言えば、問題が解決されたり、答えが見つかったとしても、希望が叶わなければ、悩みは消えないことになる。
これらが一般的な悩みと言われるものだがその種類は人さまざまで実にたくさんのものがある。
しかし、悩みにはこれらと趣が異なるものもある。
・悩みを聞いてもらうだけで良い
・悩んでる自分に同情し、優しい言葉をかけてほしい
・悩んでる自分に喝を入れてほしい
・自分の悩みを理解してほしい
・同じ悩みを持つ人と知り合い、価値観を共有し合いたい
悩みは、悩んでる人が打ち明けることで、その存在が知られる。
打ち明けられない悩みは、悩みとしては存在していても、人に知られることはない。
悩みを打ち明ける相手は選ばれた人と言えるだろう。
しかし悩んでる本人ですら、自分の悩みを十分に理解し、上手に表現できなければ、悩みを打ち明けられた人の反応は「ちょっと違った」ものになるだろう。
悩みを打ち明けられた人が、悩んでる本人と同等に悩みを咀嚼することはなかなかハードルが高いのだ。
と言うことは、悩みを巡っての打ち明ける人と悩みを聞かされる人の間で展開されるコミュニケーションは、ピント外れなポジショントークの応酬に終わることが多いのが現実だろう。
メディア上で多くの悩み相談が展開されてるのを見れば分かるように、現代では『悩み』はエンターテインメントになっている。
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妹に連絡したら「お兄さん、気づいてないの? みんなお兄さんが煙たくて、距離とっているんだよ」と。寝耳に水でした。
悩みは遊びとは違って真剣なもので、当事者のためのものだと考える人がする間違いは、観客という「その他大勢の人」という存在だ。
現代の悩みは当事者のものではなく、悩みとは無関係な観客のエンターテインメントになったということは、知っておいて損はないだろう。