インターネット上では否定的な反応が多数出てくることを炎上と呼び、好意的な反応が多いことをバズると呼ぶが、その線引きは明確ではない。
ただ結果的に、炎上であってもそこに人が集まると市場が形成されるようになると儲けにつながるために意図的な炎上が仕掛けられることは決して珍しいことではなくなった。
ビジネスに限らず、恋愛を含めた人間関係に関しては、『相手にされない(=印象に残らない)くらいだったら嫌われてでも印象に残る方がマシ』という考え方がある。
いつの頃からか、炎上というのは有名人や有名になりたい人々が、人々に自分の存在をアピールするための戦略や戦術として用いられるようになり、政治家ですら参戦している。
本来だったらバズることを目指すべき人が炎上を狙うことは、実力不足を意味するが、広告宣伝の世界では良くも悪くも話題になり露出が増えることを良しとする考えが強いので、正論をアピールして反応が得られないくらいだったら悪目立ちしてでも反響を得ようとする考えは未だに根強い。
長谷川豊の差別発言や、丸山穂高の問題発言には、大阪府民にも責任の一端があることを自覚すべき。
— 維新は丸山、長谷川、不破の責任を取れ! (@fckisn) May 22, 2019
どれだけ問題のある発言をしても、大阪府民は気にせず、維新を選挙で勝たせるという驕りが、傲慢な発言を引き起こす。
そして、今後も大阪府民は維新に投票し続ける。全国の恥曝し。一緒にされたくない
昔から日本では社会風刺やパロディが文化として中途半端だと言われているが、それはお上への皮肉をお上の顔色を伺いながら言うという日本人の特性が現れるからだろう。
つまり、文化が純粋に独立してないからだ。
日本の風刺画に感じる停滞感|イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談
伸坊:イラストレーションの成り立ちからいえば、日本の場合は広告から生まれているんで、「広告主が望む絵」ってのが最初にあったんでしょうね。そこに飽き足らない人はもうちょっと自由度のあるエディトリアルの方に行った。クライアントから文句言われたら直すもんだってところからは、なかなか面白いものは生まれないでしょ。
だいたい、お金を出してるからって口出してくるってのが間違いなんだよね。広告でわざわざクライアントの悪口を言おうとするイラストレーターやデザイナーはいないと思いますよ。広告の効果を高めようとして自分の技術を提供しているわけだから、それに文句つけられたらやる気なくなる。
きちんとしたデータがあるわけではないが、炎上が賞味期限切れになっているように感じられる。
賞味期限切れを感じる炎上の特徴として、
- 意図が見え透いている
- 炎上の手法が古臭い
一言で言うと飽きてしまった感じなのだ。
炎上が盛り上がっていた頃は、多くの人が新鮮に感じられたのは、炎上はハプニングとして起きていたし、仕掛けられたものであってもハプニングとして通用していたからだろうが、最近の炎上はパターン化を感じさせる予定調和にしか見えなくなった。
テレビのバラエティ番組が飽きられるパターンと似ている。
飽きたのはあくまでも無関係な傍観者で、関係するであろう人にとってはmetooな出来事になりやすくなっている。
不用意な発言が全てをパーにした話として有名なのが次の話。
一晩で中国市場を全て失ってしまったドルガバ炎上事件の衝撃(徳力基彦) - Y!ニュース https://t.co/CipiRriup2
— 徳力 基彦(tokuriki) (@tokuriki) November 22, 2018
無難な発言しかしないアカウントがつまらないのは事実ですし、本音をハッキリ言ってくれるアカウントが人気を集める傾向にあるのは事実です。
ただ、今回のステファーノガッバーナ氏の発言に関しては、明らかに中国国民からすると一線を完全に越えてしまった発言であり、ドルチェ&ガッバーナは文字通り一夜にして(正確には夜を迎える前の数時間に)中国市場の全てを失うことになってしまったわけです。
炎上は、今や広告宣伝効果は薄くなり、少し前まではリーチしていた人々にリーチしなくなり、少し前まではリーチしなかった人々にリーチした途端にmetooの逆襲を受けるようになっている。
資生堂CMが炎上で公開中止 なぜ資生堂の広告で女性蔑視が繰り返されてしまうのか 2019/05/21
資生堂の日焼け止めブランド・ANESSA(アネッサ)のCMが物議をかもしている。資生堂は5月16にアネッサのブランドサイトとYouTubeでウェブ動画を公開したが、たった1日でプロモーションを終了したのだ。
わずか1日での公開終了というのは不可思議な現象。資生堂側は<プロモーションの期間が終了したため>と説明しているが、素直に信じろというほうが無理な話だ。
炎上を観察分析した結果、炎上を起こすのはノイジーマイノリティと呼ばれるごく少数の人だと判明したが、炎上を起こすことは市場を作るということも分かったために、炎上を企てる人が増え、企画モノの炎上劇が増えた結果、炎上の価値や効果も変化していった。
悪目立ちする炎上が増えたことで麻痺した感覚が、悪目立ちするものへの警戒感だ。
報道やワイドショーでもピンからキリまでの目立つ人(芸達者から犯罪者まで)を取り上げるので、少々のことでは驚かなくなっている。
しかし、炎上が狙った効果を得られなくなるという流れに転じたということは、悪目立ちも裏目に出ることをつながるだろう。
これからは、悪目立ちをすると人生に汚点を残すことになるかもしれない。
では、印象に残らないことをどう対策すれば良いだろうか?
印象に残るためには、二つの方法がある。
一つはテクニックとしてで、炎上にも通じる手法で、新聞の一面に大見出しが出るような扱いであり、テレビのゴールデンタイムに放送されるように、露出を目立たせ多くの人にリーチするという方法だが、これがすでに限界というか飽和状態に達している。
この手法の影響力は、自分自身のためというよりも、世間の動向に及ぶことが多い。
もう一つは、世間の動向ではなく、自分自身のためになると感じられることだ。
そのために重要なことはメッセージが込められてるかだ。
メッセージというのは、届かない人には影響力や印象はゼロだが、届いた場合は『刺さる』。
メッセージが誰にどのように刺さるかは、発信者には全く分からない。
メッセージは、刺さるか刺さらないかということは、100点か0点かと同じだ。
世間を意識して行動する場合には、そこそこの点数例えば80点が取れれば良いと考えがちだが、メッセージを刺さらせることを考えると、80点は0点と同じになる。
これまで主流だった世間の反応を見ながら自分の態度を決めるという手法が、もし変化してるとするならば、一人一人がなんでも良いから100点を取れることをメッセージとして持つ必要があるかもしれない。
しかし、自分が持ってるものの中の何がメッセージになるのかは本人にはなかなか分かりづらいのだ。
弱みを曝け出すことがメッセージになる場合もあるし、ノウハウを伝えることがメッセージになる場合もある。
自分の価値を決めてくれるのは他人だという当たり前の答えに行き着くのだ。
メッセージのある生き方は、身の丈に合った生き方をしながら、能動的に行動していれば身につく。
そうすれば、同じような生き方や価値観の人には刺さる。
もちろん、嘘や作り事でもタイミングが合えばどこかの誰かには
刺さる可能性があるが、それは詐欺で犯罪。
メッセージが無いということは、身の丈に合った生き方をしてないか、受け身で行動してるか、ということを示している。
どちらも、気持ち一つで切り替えられるが、身近な人間関係が抵抗勢力になることが多い。
価値観や行動を変えようとする場合、自分一人ではなかなかできなかったりする。
こういう時に、人間関係の断捨離が必要になる。