現代人に突きつけられている課題は、正解が分かりづらいという特徴があり、時には問題そのものが分からないことすらある。
そんな現代を乗り切るために必須の要素として、①根拠の無い自信を持てること、②ジャンケンのように必勝法がない勝負に苦手意識を持たない(得意と思えれば尚良い)などが挙げられることがある。
そのためには、思いつきやひらめきも大切な要素になってくる。
思いつきやひらめきには、個性や趣味嗜好も関係してくる。
好きなことに関しては、どんどんアイデアが湧くのがアーティストタイプだとするならば、人々の行動に興味や関心がある人は人々の行動の背後にある価値観や行動様式を見抜くことが得意な人になるだろう、こちらはプロデューサータイプとでも呼ぶのがふさわしいだろうか。
思いつきやひらめきを活かすには、アーティストの要素もプロデューサーの要素もどちらも必要になる。
複数の要素が必須になると、マルチタスク能力を連想するが、アーティストの要素もプロデューサーの要素も互いに独立したシングルタスクで適材適所で切り替えながら活かすことになる。
そもそも、人間はシングルタスク能力しか持ち合わせていないので、世間でマルチタスク処理能力なんて言ってることは中途半端なシングルタスクの高速切り替えに過ぎないのだ。
つまり、「あれもできます、これもできます」というのは、すごくレベルの低い話か、詐欺的な話だと言って良いだろう、そういえば最近テレビでは「東大医学部で弁護士資格」なんて肩書きがチヤホヤされてるが、医者で弁護士がバラエティ番組に出てるだけで全ての取り組みが中途半端であることが想像できるが、ボーッと生きてる人々には、「世の中にはスーパーマンがいるんだね」と完全に錯覚させられている。
「自分の武器(=得意)はコレです」というシンプルなひとことを言い切れないために、「あれもできます、これもできます」と保険を掛けて展開される営業がある。
「できます」と言わなければ、その時点で終わりになるという強迫観念もあるだろう。
しかし、これをやってしまうと後から倍のストレスが掛かってくる。
武器(=得意)を持ってる人は、不得手が存在する事を恐れないが、武器を持たない人々は不得手がバレることを恐れる。
「あれもできます、これもできます」は、ハッタリの一種でもあり人心掌握術の一つとして活用されているが、ハッタリが只のハッタリに過ぎないことがバレた時は、せっかく掴んだ人の心は失い、再度取り戻すことは不可能に近くなる。
出来ないことにチャレンジすることは悪いことではないが、出来もしない事を出来ると主張し勝負をかける事は、持ってるはずの武器すら失う行為になるだろう。