今日読んでいた本に「誰が誰だか分からないアイドルグループ」と書かれていて、普段だったら全くスルーするこの文に妙にそそられた。
そもそもと遡ると、おニャン子クラブに行き着くのだろう。
おニャン子クラブの時代には、辛うじて私もアイドルが興味の範疇だったが、古参メンバーの卒業や新メンバーの加入を繰り返すうちに興味は無くなっていった。
今回のエントリーは、新潟のNGTで起きた事件とは関係ないが、いわゆる秋元康氏プロデュースのアイドルの秋元商法には触れざるを得なくなる。
秋元商法は、今や日本のスタンダードで、日本流ガラパゴスとなっている。
投票券付きのCDを何百枚と買わせて、もはや音楽でないものを売りつけた金を搾取。であるがゆえに太客やスポンサーと馴れ合い優遇。競争心に駆られた少女らを人身御供にする。あこぎで下賤な男尊女卑な卑しい秋元商法そのものが問われている。どうしてこんな国になったのか https://t.co/4a2OJa5gwu
— 藤田純夫 (@crazy_sumio) January 16, 2019
秋元商法にぶら下がる代理店と日本企業。コンテンツ作って、マーケティング会社作って、権利ビジネスに地方創生。官僚ワンツー。行政マターは権利と金。クールジャパンも最悪でしかなかった。秋元課金。#秋元康
— fuz (@wamrum) January 16, 2019
プロデューサーとしての秋元康氏をdisりたいのではなく、興味は大人数のアイドルグループにある。
おニャン子クラブに遡っても古過ぎるだろうから、原点をAKB48にして見ていきたい。
ウィキペディアによるとAKB48グループが海外も含めると12グループ(国内6グループ)と坂道シリーズが4グループという大きな柱があるようだが、GoogleTrendsで検索数の国内上位グループをピックアップすると、
AKB48グループでは圧倒的にAKBが強く他はおまけに過ぎないと思えるほどの差があるが、急激に衰退するAKBを補うかのように「坂道」が伸びているのがわかる。
ちなみに直近90日で見ると、
NGTのスキャンダルと言うか事件が大きな話題だったことが分かる。
さて、ここからが本番なのだが、この大所帯の誰が誰だか分からないグループを支えるファンはどう言う人々なのだろうか?
わしがAKBに熱狂した理由 小林よしのり 2019年1月4日
AKBに限らず、アイドルグループのヲタは決して若者ということもなく、恐ろしく老けたおっさんだらけだった。
年寄りでもAKBを応援していい、恥ずかしくないという居直りの市民権を保障したのが、わしや宇野や中森らの評論家だったのだろう。
グループ押しの者たちが、激しく他のグループといがみ合ったり、それがまたCDの売上競争につながったり、異例のことばかりだった。
おもしろいことに、客層は年齢層が幅広く、収益という観点ではターゲットはおっさんであることが伺える。
先入観と実際のファクトとの乖離が感じられる。
商品は、それがモノであっても人であっても、賞味期限や消費期限が訪れるもので、商品としての寿命である場合と、人気の翳りの場合がある。
一般的に語られるビジネスの世界では、商品は売ったら終わり(アフターサービスが必須なものもあるが)だが、「人」が商品の場合は「時間を売っている」ことになるので、商品本体は常に在庫として存在することになる。
在庫は、資産であり負債でもある。
在庫といっても売れる見込みのない不良在庫が負債なわけであって、ジャンル人気がまだ続き、在庫が捌ける目算があるのならば、在庫は換金できる資産である。
— 胡玉|恋まり 魔04|輝針祭 城-15 (@kanseiyu) August 2, 2016
売れてるものに目を向けていると、商品そのものしか見てないことが多いが、目を向けるべきは商品の属性やジャンルかもしれない。
商品そのものを見ていると、どこに自分の好きや得意を活かそうかと考えがちだが、商品の属性やジャンルに目が向けばプロデューサー目線が生まれてくる。
アイドルに熱狂する人には3種類が存在する。
- ファンになる
- アイドルになる
- プロデュースする側になる
個人の生き方に当てはめると、
- 自分自身のファンになる
- 自分をアイドルにする
- 自分をプロデュースするのは自分
という生き方ができるし、その気になれば複数をこなせるだろう。
そういう見方をすると、世間で起きてる数々の炎上や嘘や詐欺やフェイクニュースという出来事は、多くの人々が無意識であったり間違ったりを含めて生き方の試行錯誤の真っ最中であると思えてくる。
ファクトフルネスは読んでおもしろかっただけではもったいない気がしました。今後何か考えた時に短絡的すぎるかなと感じたら、巻末のルールを見て10の本能的な思い込みのどれかに作用されてないかセルフチェックしたいと思います。
— Takao Rival (@takao_rival) January 13, 2019
(出典:「ファクトフルネス」巻末) pic.twitter.com/cqitKgCMMt
今話題のファクトフルネスは、数字やデータを添付されたもっともらしい情報を正しく読み解くことの重要性を伝えているが、ここで問われているのは過去から現在までの認識を正しくするということだ。
アイドルはアイドルと同世代にも熱烈に支持されるが、ビジネスという面ではターゲットの年齢層はかなり高くなるというように、先入観とのギャップが大きいことにも通じる。
私が興味あるのは、現在を踏まえて未来がどうなるかだ。
それは、まだファクトになる前段階の仮説を追い求めることに近い。
急速に縮小しつつある出版業界において、作家個々がそれぞれの生き残りの方法を考え始めた。自らプロデュースしていかないと、先細るのは必至だからだ。先行きはホワイトアウトしており、そうした中で仮説検証を繰り返した者だけが生き残れる。手製の「おまけ」を付けるだけでもいい。わけないか(笑)。
— 伊東潤 (@jun_ito_info) September 26, 2018
データ分析をproduce(生成)するだけではなくconsume(消費)することが必要だ、というのは面白い表現。でもとても同意。
— 山田 裕嗣 / EnFlow Inc. (@yujiyamada0522) August 29, 2017
分析結果を活かすには物語が必要だし、そもそもデータ分析をする時点で仮説がないと人が分析する意味がない https://t.co/OlUWnmwGX9
未来に備え仮説を立て、プロデュースを意識すると、データの分析までは誰でもやるだろうが、さらに必要なことは、その仮説にどこまでリアリティが描けるかの確認だ。
そのような場合には、仮説に沿ってキャラを設定した登場人物で物語を組み立てるとおもしろいかもしれない。
その物語が、おもしろくてかつリアリティがあれば、それを情報として発信するだけで物語は独り歩きするだろう。
そのようなイメージを描けるのは、確実に時代は良い方向に向かっているからだ。
これは、その気になれば誰にでもできることである。