確実にテクノロジーは進化してるが、テクノロジーの進化は必ずしも人間の営みを進化させてるわけではなさそうだ。
日本の電機・電子産業の生産額の落ち込みマジでヤバいな。
— 明石順平@「国家の統計破壊」発売中 (@junpeiakashi) June 14, 2019
2017年の総生産額は,2000年の半分程度。https://t.co/FUvSGMtVeW pic.twitter.com/PMqkJtmt5i
このグラフとリンクするような動きを見せるものにカメラがある。
スマートフォンのカメラがまともに使えるレベルになった辺りを境にカメラは負に転じ、世界カメラ出荷台数は2010年のピークの1億2100万台から2018年には1900万台と、8年で84%も減っているんです…!
カメラ単体での性能の違いや使いやすさで差が付いたと言うよりも複合的な要素、例えば撮影後すぐにネットワーク上に上げれることや撮ったその場で加工できることや他のアプリに取り込んだりできることの簡便さで差が付いたのだろう。
多くの人はスマホのカメラで十分で、スマホでは満足できない人が従来型のカメラの客でい続けてるのだろう。
スマホカメラと従来型の違いは、スマホのカメラは誰が撮っても同じように撮れるのに対し、従来型は同じように撮ってるつもりでも同じにならない点にある。
従来型のカメラでは、自分だけの一枚を追求できるのだ。
次の話は、別にカメラの話ではないが、
製品が進化すると、うつ病にかかる人が増える? AIや自動化だけでなく「不便益」を取り入れる必要性
「便利」とは手間がかからない一方で、モチベーションの低下とスキルの低下が相乗効果を起こす場合があります。ひと言でまとめるなら、「楽(ラク)だけど、楽しくない」。
プロフェッショナルが育ちにくい一面もあります。
一方、「不便」であることは、便利とは逆に、モチベーションの上昇とスキルの上昇が相乗効果を起こす場合があります。「楽(ラク)じゃないけど、楽しい」のです。
と、言われてる。
ブラックな現場では、なにかと気苦労が多く大変で忙し過ぎるから楽しくないという状態を生むと思われがちだが、楽しくないという状態は便利で楽(ラク)が引き起こすとすれば、「楽(ラク)だけど、楽しくない」というのも新種のブラックかもしれないと思えてくる。
楽(ラク)という観点で見ると、世の中には四種類の人が存在することになる。
- 楽(ラク)だと便利で楽しい(無条件に良い)
- 楽(ラク)は便利だけど工夫する楽しさに欠ける
- 楽(ラク)は便利だけど上達する喜びに欠ける
- 楽(ラク)は程々に(必要ないとまでは言わないが)
工夫する楽しさや上達する喜びは、見方によっては「遠回りの容認」で、結果を最短時間で出す事を求められる際には無駄な事だと考えられがちで、そのために楽(ラク)を追求し、作業や業務に携わる者が工夫したり上達しなくても熟練者と同じ結果が得られるようにデザインされるのが現代だ。
機械化・自動化・コンピューター化で細かい制御が可能なものはドンドン楽(ラク)が進化する。
反対に、機械化・自動化・コンピューター化に馴染まない事は楽(ラク)が進まない、典型的には人と深く関わる領域は楽(ラク)が進みにくいだろう、医療の世界では医者という存在は手術を含めて診察もAIが取って代わると考えられてるが、看護師の役割はそう簡単には代替されないだろう。
将来は、あぶれた医師は看護師になるしかないかもしれないが、看護師として通用するだけの体力や気配りを持ってる医師がどの程度いるかと考えると、医師が看護師になるのはハードルが高いとも思えてくる。
発達するテクノロジーは、世の中をドンドン退屈にする。
だからこそ、一工夫や一手間かける事が持つ意味が大きくなる。
インプットにしてもアウトプットにしても、機械化・自動化・コンピューター化に対抗できる一工夫や一手間が大事になる。
そうすると人間の強みは、不確実さであり、曖昧さであり、その結果の発想の飛躍にあるのかもしれない。
テクノロジーが発達するに連れて、人間の発想はドンドン小粒になっている、それは発想を裏付ける証拠やエビデンスなど様々な確証を先に求められるようになったからだ。
裏付けが取れないことに取り組む事こそが、退屈しないで生きるために人間に残された聖域の一つになるだろう。
他人を巻き込む場合には、プレゼンテーションは必要かもしれないが、自分一人が行動する場合にはプレゼンテーションは不要だ。
プレゼンテーションから始まる事なんて、心の底から楽しめるものにはならない。
こんな簡単な事を、テクノロジーの発達が人間から遠ざけていることに気付こう!