違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

自縄自縛から抜け出すためにはスポ根を捨てろ!

気になるツイートがあった。

 

 

 

子役のオーディションに参加している子どもたちが、持参している水筒の水に全く口をつけないことに気づいた鴻上尚史氏。「飲んでいいよ」と声をかけると一斉に飲むので、「まさか、君達、小学校じゃあ先生が飲んでいいと言うまで飲んじゃいけないの?」と聞いたところ全員がうなずいたという。

 

 

今時そんなことあるのかなとTwitterを検索すると似たような話がすぐに見つかる。

 

 

 

 

 

どうやら、指導者や先輩にスポ根的な価値観が感じられる。(もっとも、これらのツイートは最近の話かどうかは分からないが)

 

先輩が持ってる価値観ということは、今は嫌がっている後輩達もいずれ先輩と言われる立場になると持ってしまうのかもしれない。

 

だとすると、負の連鎖は止まらないことになる。

 

このように考えると、指導の名の下に行われていることは支配だと感じられる。

 

 

子供達が、指導者の顔色を伺いながらじゃないと水分補給もできないという現実がまだまだたくさんあると知ると、先日話題になっていたダルビッシュvs張本も、わたしはダルビッシュの意見が支持されてるとばかりに思っていたが、実際は違うかもしれないと思えてくる。

 

そして探してみるとこんな話があった。

 

【仰天】大船渡高校・佐々木朗希を巡り張本勲氏とダルビッシュ有舌戦 居酒屋での支持率は「張本の圧勝」だった!?

「大ざっぱに言うと、張本氏は根性論をベースに“仲間に迷惑をかけない”との自己犠牲を重視しており、一方のダルビッシュは合理的な思考をもとに選手の将来を考えているように見えます。現代のトレンドではダルビッシュ派に理のありそうなものですが、野球ファンの集まる居酒屋トークでは意外にも、張本氏の考え方を支持する人たちが少なくないのです」(スポーツ系ライター) 

 

張本派のファンは中高年世代がほとんど。そんな彼らは『巨人の星』の大リーガー養成ギブスや、『リングにかけろ』のパワーリストに触発され、負荷をかければかけるほど上達・成長できるとの考え方を常識として育ってきました。それゆえ野球のみならず仕事などの社会生活においても、若い世代の“合理的な思考”にはついていけないもの。そのため今回の件では、周囲からいくら叩かれても自分の考えを主張する張本氏に、自分の理想を重ねているのかもしれません」(前出・スポーツ系ライター) 

 

 

間違った考えを強制されてると理解できれば、反発心も出てくるだろうし、自分が指導者や先輩になった時に悪い流れを断ち切ることが出来るが、嫌々ながらでも受け入れてしまうと間違ったことでも以後はそれに縛られてしまうようになる。

 

このように考えると思い出すのが次の話。

 

 

鎖に繋がれた像

 

 

ムラ社会的なルールが多い日本人の気質として、反抗心や反発心が弱い人は自縄自縛な行動を受け入れることが多い。

 

嫌なのに、納得できないのに、理不尽な要求に従ってしまう、こういう人が日本人には意外と多い。

 

自爆営業なんてことばがある。

 

自社の商品が売れない時に強制的に社員に買わせたり、あるいはノルマを達成できない時に自発的に自ら商品を買ったりすることを意味する。

 

空気のなせる業であり、査定等の基準が手かせ足かせとなっているからだ。

 

自縄自縛に陥る心理を心理学的に解説する話もあるが、もっと単純に像の鎖のような何かがあるせいで陥ってるのだ。

 

像と違って人間の場合は、守りたい何か、拘ってる何かに縛られることが多い。

 

自分を縛るものば何なのか、自分が何に縛られてるのか?

 

何かは、価値観だ。

 

それが分かるだけで問題の半分は解決だ。

 

残りの半分は、見栄やプライドや過剰に背負いこんだ義務感だったりする。

 

義務感が生まれる所には、一生懸命や真面目が大きく関係する。

 

自縄自縛に陥る人の特徴は、一生懸命で真面目。

 

一生懸命で真面目というのは、好きなことややりたいことに取り組む時に活きるもので、やりたくないことや嫌いなことに対して発動するものではない。

 

そう考えると自縄自縛から抜け出すのは簡単なはず。

 

今、悪循環の中にいると思うならば、大事なことだと思っていることは実は大事ではないと気付いた方が良い。

 

自縄自縛から抜け出す第一歩は、スポ根的な価値観を断捨離することだ。